フードエッセイスト・平野紗季子の“食との関わり方” ショートケーキは「背中から食べた方がおいしい」
平野さんは、雑誌『POPEYE』で“味な店”という魅力的な飲食店を紹介する連載経験があり、Podcast『味な副音声~voice of food~』では“食”をテーマに様々なトークを音声で届けています。
■「ショートケーキは背中から」タイトルにまつわるエピソード
みなさんはショートケーキを食べるとき、無意識に三角形の鋭角部分から食べ始めてしまうのではないでしょうか。そこで平野さんが本書で教えてくれたのは、別の視点から見た“食体験”と”気づき”でした。
――タイトルが気になってしまうのですが、どういうふうに名付けられたのですか?
普通ショートケーキって三角形の鋭角のところから自然と食べ進めちゃうと思うんですけど、ある時「これって後ろから食べた方がおいしいんじゃないか」というのに気づいて、食べてみたら最初に生クリームのたっぷりのところから食べるので、一番おなかがすいているタイミングで一番濃厚な部分をひと思いに食べられるというのがめちゃめちゃおいしいなと思って、逆に先細っていくので後腐れなく最後までおいしく食べられるということに気づいて、「ショートケーキ背中から食べた方がおいしい」というふうに気づいて、同じ食べ物でも“新しい味わい”を発見したことがあって、そのエピソードを書きました。
最終的に背中から食べなくてもおいしいショートケーキに出会うというところで(本書)では終わっているんですね。なので自分が何か新しい発見をしても、その発見を食べ物が追い越していく、自分はそれをずっと追いかけ続けるんだろうな、そういう自分の食との関わり方を象徴するエピソードだったのでタイトルにしました。
■「銀だこ」に旬があるらしい
「たこ焼き」といえば、「夏」にお祭りの屋台で、大きな鉄板の上でジリジリと焼かれる姿を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。本書では、一年中気軽に空腹を満たしてくれる『銀だこ』には旬があるとつづっている平野さん。それは「秋」だそうで…。
――「銀だこの旬は秋」(『ショートケーキは背中から』 より)について
「銀だこ」って私の中ではわりと“食感”の食べ物、揚げ焼き感の“ザクザク”っていうのをめでたい。でも熱々をいきなり頬張るとめちゃめちゃ熱くて、上あごがベロベロになってヤケドしてしまう。「いつ食べるのがいいんだろうな」とずっと思っていたんですけど、“散歩しながら徐々に冷めていくのを食べるのが一番おいしい”ということに気づいたんです。
散歩に適した季節って「春」か「秋」なんですけど、「春」は花粉症でつらいので「秋」に「銀だこ」を食べながら街を散歩しながら、キンモクセイが咲いていると、その香りがソースにぴったり合うんですよ。そこで「銀だこの旬って秋なんだな」っていうのに気づきました。
■「消え物である食べ物を残したい」という思いで始めた「食日記」
そして、小学生の頃から書き始めたという「食日記」。当時、平野さんは食べ物が消えてしまうものであるという“運命”に直面し、どうにか“残すため”自然と日記をつけ始めたといいます。
――最初はどんなふうに書いていましたか?
「今日はタラのグラタン(給食)がおいしかった!」とか、家族で行った外食の記憶だったりとか、今読み返すと恥ずかしい。「おいしかった!また行きたい!」、そこまで厳密に味を捉えるという事に対して集中していないですし、めちゃめちゃな恥ずかしい日記ばかりです。
――今はどのように記録していますか?
1人でご飯に行くことも多いので、食べたらその場で携帯に思ったことをメモしていく感じでやっています。
■おぼろ昆布を「てゆん」と表現したワケ
見せてもらったメモに書かれていたのは「アクセルに対するブレーキ」、「実に対する空白」という、食事に対する平野さんなりの表現がありました。
――「アクセルに対するブレーキ」とは何を表しているのですか?
主菜に対してのつけ合わせみたいなのが、すごく付け合わせの味が薄くてこれは「アクセルに対するブレーキ」「実に対する空白」なんだなとか、対比をすごく大切にしているのか、というのを食べながらメモしています。
――作中では、おぼろ昆布が「てゆん」と聞き慣れない擬音語で表現されていました。ユニークな擬音語はどのように考えていますか?
例えば、おぼろ昆布の溶ける感じが「とろっ」とかでもいいんですけど、「とろっ」ってなる食べ物ってたくさんありすぎてプリンだって「とろっ」ってかけるし、いろんなものが「とろっ」っていう言い方にできてしまう中で、でも、おぼろ昆布の溶ける感じと、とろけるプリンの「とろっ」って感じは全然違う。自分の中で分けた箱に収納したい、食べたときに自分の中で「てゆん」って感じがしたなと思って、「てゆん」ってラベルをしてしまうという感覚で書いています。
――平野さんの言葉を聞いていると、“食事の情景”が思い浮かぶのですが・・・
「味」ってお皿の中の出来事だけで決まるわけではない、というのが大前提にある。例えばどんなに大好きなケーキでも、それを一緒に食べていた恋人と通っていたケーキ屋さんがあるとして、でもその人と別れて行けなくなる場合がある。ケーキの味は全く変わっていないけど、そこにひもづいている記憶が、自分の中でポジティブなことではなくなったときに、その味わいも味気なくなってしまう。
お皿の上だけのものを食べているわけじゃない、というところからそこに関わった「人」や「その場の空気」「そこに広がっている風景」そういうものが全部介入し合って関わり合って「味」というものが生まれている。どうしても味について書こうとすると(記憶が)ひもづいてきてしまう。
■料理人の印象的な言葉は
本書では「食」「お店」などと共に多くの料理人と平野さんのやりとりも書かれています。そこで、これまでたくさんのお店の扉を開いてきた平野さんが語る、料理人の“言葉”とはー。
――これまでお話をされた中で、印象に残っている“料理人の方の言葉”は何ですか?
「おいしくしよう しようと思いすぎると料理にアクが出る気がする」とおっしゃっていた方がいて、私はそれにすごく驚いて。基本的に料理を作るゴールっておいしさじゃないですか。“おいしい”に向かってみんな切磋琢磨(せっさたくま)していると思うし、それは揺るぎない一つの正義だと思う。その料理人の方は自然に近いところに暮らしていて、食材とかを生かすという考えになった時に、「おいしくしよう おいしくしよう」と思いすぎると逆に味は濁るという感覚になるとおっしゃっていた。新しい考え方だなと、本当にたくさんいろんな発見を料理人の方からは学ぶことが多いです。