市川海老蔵 父から子、そして勸玄へ 代々続く “團十郎”を受け継ぐことの重み
『市川團十郎』は、約340年前に、『荒事』の創始者として活躍した初代・市川團十郎から、代々受け継がれてきた大名跡です。いくつもの時代を経てきたこの名跡は、海老蔵さんの父である十二世・市川團十郎さんが2013年に亡くなってから、不在となっていました。
2020年、海老蔵さんが十三代目市川團十郎を襲名することが決定し、襲名披露公演を行う予定でしたが、コロナ禍により延期に。今回、その延期されていた公演が2年半ぶりに行われ、約9年ぶりの“團十郎”復活となります。
――襲名を目前にして今の心境は?
海老蔵:(コロナ禍で)演劇界、歌舞伎界も大変な難局を迎えているわけでございますけれど……。(延期から)2年半でできるということは、“ようやく”という気持ちと、團十郎になるにあたっての行事をやっていくと、代々の團十郎が紡いできた文化であって、先祖の思い、気持ち、生きた証拠がこの一つ一つの事象に含まれてきているなと、重みを感じている真っただ中です。
勸玄:新之助に2年間なれなくて、2020年の5月では、新之助っていうイメージはあんまりなかったんですけれど、今回2年間空いたから、(やっと)“新之助になれるんだ”みたいな感じです。
――海老蔵さんの目から見て、勸玄さんの今のお稽古ぶりは?
海老蔵:比較的楽しそうにのびのびと、“自分がやりたいように”というところと、「こうした方がいいよ」ということもちゃんと聞く耳をなぜか持つという。家だと、「ゲームやめなさいよ」って言ってもあまり聞く耳を持たないんですけれども、(稽古では)「教えてほしい。知りたい。聞きたい。これはどうなってるんだ」って率先してやって来るわけで。「もういいだろう」って思うけれども、何べんも「もう1回、もう1回」って。楽しそうにやるんですよね。なんかやっぱり父に似ているかな。集中の仕方がよく似ていますね。
■生まれる直前に祖父が他界……その姿が歌舞伎の目標に
海老蔵さんの父、十二世・市川團十郎さん。生前は白血病の闘病と、舞台への復帰を繰り返しましたが、2013年2月、勸玄さんが生まれる1か月半前に肺炎のため66歳でこの世を去りました。男の子の誕生と、親子3世代で舞台に立つことを誰よりも楽しみにしていたという十二世でしたが、その姿を孫の勸玄さんも映像で見て、芝居につなげているといいます。
――勸玄さんはおじいさまの歌舞伎の映像をご覧になってどんなことを感じましたか?
勸玄:歌舞伎って優しさが出るんですけど、おじいちゃんの芝居見ていると何か優しい感じがよく出ていて、優しかったんだろうなと思って。
――勸玄さんはどんな歌舞伎俳優になっていきたいと思いますか?
勸玄:かっこよくなりたいです。優しくてかっこいい歌舞伎俳優になりたいです。
――優しい歌舞伎俳優さんというのは、どんな歌舞伎俳優さんなのでしょうか?
勸玄:お父さんも優しいですし、今の歌舞伎俳優さん結構ほとんど優しい人が多いです。
海老蔵:周りに恵まれているね。
勸玄:うん
■父から子へ 子から孫へ 代々続く歌舞伎の精神
祖父の姿から歌舞伎の心を学んだのは、海老蔵さんも同じでした。祖父である十一世・市川團十郎没後30年のパーティーに参加した時に、その映像を見て「歌舞伎ってこんなにかっこいいんだな」と感じ、役者魂に火を付けることになったと以前インタビューで明かしていました。
――父、十二世・團十郎さんから海老蔵さんが学ばれたことで、勸玄さんにも歌舞伎俳優として伝えていきたいことはどんなことがありますか?
海老蔵:やはり父から教わったことっていうのは、『荒事』の本質。父の場合は学者肌なところがございまして、私に教えるのもかなり細かく、わかりやすく説明してくれていたので、そういった部分をしっかり勸玄に伝えていける。また(長女の)ぼたんに伝えていけると思います。
稽古の仕方も、祖父(十一世)が、父(十二世)にした稽古の仕方、父が私にした稽古の仕方というもの、教え方を、いいところをちゃんと吸収して。せがれには全面的な教育の仕方ということを志して稽古しています。9歳で十二代目・團十郎の“人となり”や、“優しさがあふれる芝居”であるってことを理解ができる人間はおそらく数少ない。なので、“芝居から優しさを感じた”という発言になっているので悪くないかなと。ですから徐々に……あんまり急いでやってもね、急いで入れたものは急いで抜けるんですよ。ですから、ゆっくり時間をかけてやっていきます。
――勸玄さんはお父さまのどんなところがすごいなって感じますか?
勸玄:お父さんのすごいところですか? すごいところは優しくて、お稽古を一つ一つ丁寧に教えてくれていて。それでいつも集中してやっているなと思うこと。集中してやっているところがすごいところです。
――舞台や稽古場の海老蔵さんの姿と、家に帰ってからのお父さんの様子は変わりますか?
勸玄:あんまり変わんないかな。わかんない。あんまり見たことない……いや、見たことあるか!
海老蔵:(笑)
■新之助・團十郎として…… 成田屋のこれから
――勸玄さんは、いつか今のお父さまの名前の海老蔵、そして、おじいさまの團十郎、自分も名乗ってみたいなという気持ちはありますか?
勸玄:あります。
――いつぐらいからそういう気持ちが芽生えましたか?
勸玄:う~ん。いつぐらい……子どもの頃から結構そういうことは……
海老蔵:今も子どもだけどね(笑) もっと子どもの時からだよね。
勸玄:うんうん。
――それはいろんな作品を見たり、お父さまの活躍を見て感じるようになったんですか?
勸玄:うん。
海老蔵:少なからず、私が9歳の時よりかは、彼は歌舞伎が好きなんで、楽しいみたいです。ですから、早く海老蔵になりたいでしょうし、早く團十郎白猿になりたいでしょうしね!
勸玄:うん。
海老蔵:早くなりたいんですよ。ですからもう皆さまの応援よろしくお願いいたします。早く私を引退させてください(笑)
――改めてですが、海老蔵さんはこの代々継承されてきた伝統と、令和の團十郎としてどんな姿を世の中に見せていきたいと考えていますか?
海老蔵:團十郎13人目ということで、初代に、原点に帰ってということを一つ目標としていて。初代市川團十郎というものは、荒事を作って、大きく“市川團十郎”という名前を日本中に知らしめた。今度私がやるべきお役目は、日本の文化の一つの歌舞伎として、市川團十郎としても世界の方々に認識していただけるような、アクセスのし方を考えていくべきである。それは、あくまでも新しいことに挑戦し続けることだけではなく、やはり日本の360年、400年近く守られ続けてきた“古典”というものを、一つの武器に戦えるような團十郎になっていくということ。大雑把に言うとそんなところかなと思います。