林家こん平さん、落語家初の新潟県民栄誉賞
去年12月17日に誤えん性肺炎のため77歳で亡くなった落語家・林家こん平さんに新潟県民栄誉賞が贈られることが2日、発表されました。
新潟県によりますと、新潟県の名声を高め、県民のふるさと意識を高揚させた顕著な功績があったことを称え、新潟県民栄誉賞を授与するということです。表彰式は新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、後日(期日は未定)行うということです。
芸能界では歌手の三波春夫さん、小林幸子さん、俳優の渡辺謙さんに続いて4人目で、落語家としては初の受賞です。
こん平さんは1943年、新潟県刈羽郡千谷沢村(現・長岡市)出身。1958年、初代林家三平さんに入門。1962年に二ツ目、1972年に真打昇進。高座の出囃子も「佐渡おけさ」と故郷をこよなく愛していました。
1966年に放送を開始した演芸番組「笑点」の初代大喜利メンバーで、大きな声と明るいキャラクターで親しまれたこん平さん。一躍有名にした“チャーザー村(千谷沢村)”以外にも第二の故郷が全国各地にあり、地方収録の際カバンはお土産でいっぱいに。それでも「帰りの私のカバンには、まだ若干の余裕がございます」がお約束。お客さん参加型の挨拶「1、2、3、チャラーン!」は代名詞となりました。
2004年、手足がマヒし声帯が機能しないなどの症状が出て、その後、原因不明の難病・多発性硬化症と診断。家族に支えられながら懸命にリハビリに励んできました。その甲斐あって、三遊亭小遊三さんと「らくご卓球クラブ」を創設するほど大好きな卓球では、こん平さん自らラケットを握りラリーができるまでに回復。2014年には24時間テレビの日本武道館のステージに立ち、笑点メンバーやお客さんたち全員と「チャラーン!」を披露。故郷・新潟をはじめ多くの人々に感動を届けました。
2016年には新潟県の自殺予防キャンペーンの一環として落語絵本の読み聴かせイベントに参加し、落語の笑いの中にある親子の絆や命の大切さを伝えるなど故郷を継続的に支援。2018年に開催された都電落語会のイベントでは「一生懸命やりますから、これからもやりますから。よろしくお願いいたします」と力強く挨拶。東京で開催されるパラリンピックを楽しみにしていましたが、新型コロナウイルスの影響で延期され、かないませんでした。
<林家こん平さんの主な功績(新潟県庁2日発表)>
(1)全国放送演芸バラエティ番組「笑点」を通じ本県の魅力を全国に紹介した。昭和41年の放送開始時から「笑点」の中心メンバーとなり、約40年にわたりレギュラー出演した。番組内で「越後生まれ」を名乗り、新潟の話題を盛り込んで話を展開するなど、本県の魅力を笑いに変えながら全国に紹介した。
(2)県行政へ積極的に貢献し県民に明るい希望と活力を与えた。
・平成28年から「笑い」の持つ力を生かした自殺防止活動として本県で普及啓発活動や相談事業などに取り組むとともに、平成29年には新潟市内の空き店舗を改装し毎月1回の定期公演や落語絵本の読み聞かせを実施した。
・難病を患いながらも折々に本県を訪れ精力的に活動する姿は県民に明るい希望と活力を与えた。
今回の新潟県民栄誉賞の受賞について、こん平さんの二女・咲(えみ)さんは「様々な父の功績を認めていただいてうれしい。(父には)おめでとうと伝えたい。本当に頑張った一生だった。故郷に錦と報告したいです」と話しています。