遊園地で人気の『パンダカー』や『ビックリハウス』は花やしき発祥だった【花やしき170周年】
■「昔は新しくできたアトラクションをみんなここで試しに設置していた」
170年の歴史の中で、遊園地として営業を開始したのは、開園から約100年後の1940年代です。それまでは、花園や動物園として営業していました。1949年に現在の名称『浅草花やしき』に改名した際には、大型遊戯施設の製作、販売などを行う『東洋娯楽機』の単独経営になったいいます。津村さんは「昔は新しくできたアトラクションをみんなここで試しに設置していた。『ビックリハウス』や『パンダカー』はうちの会社が作って、いろんなデパートの屋上や遊園地に設置されていった」と説明しました。
■錯覚を利用した『ビックリハウス』 当時ならではのクレームも
『ビックリハウス』は、部屋の中の椅子に座ると壁が回転し、まるで自分自身が回転しているような錯覚を楽しむことができるアトラクションです。今から74年前の1949年に誕生した当時はクレームもあったといい「お客さんを危ない目にあわせているというような錯覚になってしまうみたいで、“こんな危ないものに乗せて!”というクレームは相当あったみたいですね。今では映像でも錯覚で浮いている気分になったりすると思うんですけど、(当時は)そんなものはなかったんだと思います。仕組みを説明して理解してもらったようです」と明かしました。
■「子供たちにとって夢がある」宇宙にちなんだアトラクション
1960年には、約40メートルからの景色が楽しめる『人工衛星塔』がオープンしました。当時は日本一の高さを誇っていたといい「今みたいに高い建物が建っていなかった時代ですから、相当遠くまで見渡せたみたいですね」という津村さん。オープンした年は、人類初の宇宙飛行が成功し、ガガーリンの名言「地球は青かった」が生まれる1年前だったこともあり「宇宙にロケットが行ったりというのが盛んになってきた時代なので、一番夢があるようなもの、“ムーンロケット”というアトラクションがあったり、ローラーコースターも最初は“ロケットコースター”という名前だったり、宇宙にちなんだものが一番、当時子供たちにとって夢があるものだった」と語りました。
■元々はゾウがモデルだった『パンダカー』
現在も子供から大人まで人気を集める『パンダカー』は、1984年に登場。元々は、“ゾウ”がモデルだったといい「戦争よりももっと昔に、ゾウに乗る“歩行ゾウ”というものを作ったんですけど、重くなっちゃうし、よく壊れるというので、うまくいかなかった。それがパンダカーという形で技術が発達して作れるようになった」と『パンダカー』誕生の経緯を明かしました。
170年もの間、形を変えながらも人々を楽しませてきた『浅草花やしき』。津村さんに「170年たっても変わらないもの」を聞くと「遊園地はいろんな娯楽がある中で、廃れていきやすいところだと思うんです。でもアトラクションに乗って笑っている雰囲気というのは変わらないなと思います。特にうちは乗り物が古いものがたくさんあるので、最先端の技術のものはそんなにないんですけど、昔楽しんでいた大人が子供の頃楽しんでいた感覚と、今の子供が楽しんでいる感覚は同じなんだろうな。170年前はお客さんの層も違うと思うんですけど、同じように楽しんでくれていた人がいたわけで、そういうところが持続していっているのだと思います」と語りました。