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合奏練習は1日限り 異例の『第九』音楽会を取材 子育てに介護…様々な事情抱え参加「一生の宝物に」

2024年4月7日 21:40
合奏練習は1日限り 異例の『第九』音楽会を取材 子育てに介護…様々な事情抱え参加「一生の宝物に」
プロから楽譜が読めない人まで 異例の音楽会が初開催

神奈川・横浜で、ベートーベンの『喜びの歌(第九)』を演奏する音楽会が3月16日に開催されました。実は、全員が集まって練習したのはこの日“1日限り”。さらに、楽譜が読めない人も参加しているんです。異例の音楽会がなぜ開かれたのか? 取材しました。

■「1日にするからこそ集まれる人たちと、出せる音がある」

初開催となった『Earth ∞ Pieces(アースピースィーズ) vol.1 ワールドプレミア』。企画発案・監修したのが、栗栖良依(くりす・よしえ)さんです。栗栖さんは2010年に骨肉腫を患い、障害者パフォーマンスの世界へ。東京2020パラリンピック開閉会式で、企画・演出振付など総合的に監修を担当するなど、活躍しています。

栗栖さんになぜ、“1日完結型の音楽会”を開催しようと思ったのか? お聞きしました。

「通常『第九』というと、何か月もみんなで集まって練習して演奏するものだと思うんですけれど、仕事だったり介護・子育てなど、何回もリハーサルすることが難しいという方がたくさんいらっしゃって。1日にするからこそ集まれる人たちと、出せる音がある。こういった音楽会というと、たくさん練習して精度の高い、芸術性の高いものを仕上げて人に聞いていただくことが通常のイメージかと思うんですけれど、“誰もが参加できる”。でも、作品としてのクオリティーも追求するという、そこのバランス感を今回すごく意識しながら作っています」

■子育て、介護中のプレーヤーも参加「このスタイルだから参加できた」

特徴の1つが、参加するプレーヤーの“幅の広さ”。プロから、個人的な事情で音楽演奏から離れた人、障害がある人まで、28人が参加(体調不良のため1人欠席)しました。

ビオラ担当の立木茂さん(63)は、プロの音楽家。オーケストラ等で演奏活動を行い、中南米の大学で教べんをとるなど40年にわたり音楽に携わってきました。今回は「演奏家は受け取った楽譜を再現するのが仕事。今回のイベントは“作り上げる”ところから参加できると伺ったので、ぜひやってみたい」と、参加したといいます。

声楽担当の斎藤百合恵さん(34)は、5歳と6か月(取材当時)の女の子を育てる母親。大学のときに合唱団に入っていましたが、「どうせやるなら時間を使える時期にやりたいという思いが強かった。今は音楽の時期じゃないかな、というのでしばらく離れていた」といいます。「1回だけ、その場の化学反応で音楽を作ろうというのが面白そうだと思ったし、いっぱい練習を重ねて本番のステージを目指そうという活動だとどうしても“今じゃないかな”と思っちゃう。このスタイルだから参加できたのかな」と話しました。

アルトサックス担当の三宅章太さん(38)は、2020年頃から母親が認知症を患っており、現在は仕事をしながら家族のサポートを行っているといいます。中学・高校でやっていたアルトサックスを演奏することで「自分の状態・気持ちのバランスがよくなっている」と感じ、「母が急に体調が悪くなれば、楽団とかで演奏していると難しい。色んな方が色んな思いを持って参加されている。それぞれが奏でる音は十人十色だと思うし、それが合わさったときにどういう音がするかな、発見と喜びに満ちてるんじゃないか」と、演奏会への期待を膨らませていました。

■楽譜が読めない参加者 自身で工夫も

経験の差がある参加プレーヤーたち。栗栖さんは今回、音楽監督を務める音楽家の蓮沼執太さんとともに、楽譜が読めない参加者も演奏できるように、個人練習方法を考えていました。

ジャンベを担当する待寺優さん(34)には、たたくタイミングを“声”で教える音源が渡され、それを基に個人練習に励んでいました。

また、自身で工夫した参加者も。大学生の岩川佳士乃さん(25)は、生まれつき右肘が曲がらず、小指・人差し指が動かしにくい障害がありますが、主に親指で演奏できるカリンバで参加しました。「小・中学校の音楽の授業ぐらい」しか経験はなく、楽譜は読めませんが、「音ゲー(音楽リズムゲーム)」からイメージしたという“自分流の楽譜”を自作。「自分には音楽が難しいと思ってしまう場面もあったけれど、自分でも工夫することできちんと演奏に参加できることがわかった」と、この演奏会に参加して得た経験について語りました。

■個性豊かな面々による、個性にあふれた演奏会

1日限りの合奏練習の中で、蓮沼さんがこんな言葉をプレーヤーにかけました。

「何が合っているとか、何かが間違っているとか、うまいとか下手とかそういう感覚は一切ない。色んな人の音を受け入れてあげながら、合奏できたらいいんじゃないかと思います」

3時間ほどで合奏練習は終了し、いよいよ本番へ。プロから未経験者までがそろった1日限りの楽団は、ダウン症の小川香織さん(29)によるピアニカや、待寺さんが個人練習を重ねたジャンベ。これまで音楽の演奏に触れてこなかった岩川さんが、カリンバの温かい音色を響かせる見せ場もありました。

家庭の事情などで演奏会への参加が難しかったアルトサックスの三宅さんは、自身が演奏していない時間にも音楽にノリながら笑顔を見せ、子育て中の斎藤さんも『第九』を熱唱。個性あふれる楽団が織りなす、個性豊かな『第九』の演奏に、集まった人たちからは大きな拍手が送られました。

本番終了後、三宅さんに話を聞くと「本当にめっちゃええ音していて。すっごいいい気持ちになりました。皆さんと表現が一緒にできたことを、一生の宝物にできます」と、満面の笑み。斎藤さんは、「自分が万全の状態で練習できるなら、理想を目指そうというのが苦にならないし楽しいんですけど、(今は子育てで)それができない。そういう場(音楽会)にいくと“できなくてごめんなさい”みたいな感じになる。そういうのがなく、安心できる。本当に楽しかったです」と、感想を語りました。

2030年まで活動を続けていきたいという栗栖さん。「今まで音楽を演奏する機会がなかった方でも参加できるような形を取りながら、どんどん仲間を増やしてアンサンブルを発展させていきたい」と、今後の展望について語りました。