大山のぶ代さん、ドラえもん以外の声は26年間演じず 「あの子に夢中で。他のことに気が向かなかった」
■俳優としてデビュー リポーターや、脚本家など、幅広く活動
大山さんは、1954年に俳優座養成所の第6期生に合格。同期には、市原悦子さんなどがいたといいます。その後もドラマや映画などに出演し、俳優として活動していた大山さんですが、1957年に海外ドラマ『名犬ラッシー』で吹き替えに挑戦しました。さらに、テレビ番組『ウィークエンダー』のリポーターや、ドラマ『太陽にほえろ!』では脚本を執筆するなど、幅広く活動していました。
■約26年ドラえもんの声を担当「私自身があの子に夢中」
そして、大山さんの名を一躍世に広めたのが、1979年から担当した人気キャラクター『ドラえもん』の声です。1996年放送のテレビ番組で、ドラえもんの声について大山さんは「自分では意識なかったけど、生まれつきだと思います」と語っていました。
また、自身の著書『ぼく、ドラえもんでした。』(小学館)では、ドラえもんについて「“演技プラン”なんて大げさなものではありませんが、録音が始まる前、私は私なりのドラえもんの演じ方をいろいろ考えていました。(中略)ドラえもんと知り合って、一緒にお仕事をして、私はいろいろなことを勉強しました」と、思いを明かしていました。
さらに、ドラえもんの声を演じている26年間は、声の仕事をすべて断っていたといい「私自身があの子に夢中で、他のことに気が向かなかったのです。そしてとうとう二十六年間、他の声はいっさいせず、ドラえもんだけで過ごしてしまいました」と、つづっていました。
そして、2005年にドラえもんの声を降板。最後の収録を終えた時の様子を、大山さんは著書の中で「『ドラえもん』最後の録音が終わったとき、全員で顔を見合わせ、アーともハーとも聞こえる声を出しました。(中略)やるだけやった! の達成感も、これで終わりだ、の淋しさもなく、じつに淡々と、いつもと同じに全員楽しく仕事を終えた」と明かしていました。
大山さんは、1996年放送のテレビ番組で「『ドラえもん、大山さん』って言えるものがあるってことは、役者冥利(みょうり)に尽きるよって言われた時、本当だなって思ったの。だって年中くっついてるんですもの。で、時々(ドラえもんが)“ねぇ~?”なんて話しかけるわけですよ。だからね私は、一心同体ですよ」と、ドラえもんへの愛を語っていました。