アイリスオーヤマ社長、逆転の経営術2/5
アイリスオーヤマ代表取締役社長・大山健太郎氏に聞く「飛躍のアルゴリズム」。2つ目のキーワードは「オイルショックで家族同然の従業員をリストラ…」。10年間貯めた資産がわずか2年で底をつくピンチに。そのとき、大山氏はどう舵を切ったのか。
■1度目のピンチはオイルショック
――オイルショックで家族同然の従業員をリストラとあるんですが、19歳で家業を引き継いだ大山さんは当時必要とされていた漁業用ブイを作るなどして、家業のプラスチック工場の売上を倍増させていきました。ですが、1973年のこのオイルショックで経営危機に陥りまして、大阪の工場閉鎖をするまでになったということですが…その当時大変な思いをされたんじゃないでしょうか。
そうですね。私はスタートの時、父親が高校3年の時にガンになりました。翌年亡くなったということで大学進学を諦めて家業になったんです。ビジネスの常識もわからず、何もなかった。それをやっぱり創業当時の社員と仲間という意識でね、一緒に頑張って、下請けからメーカーになるということで、順風満帆に会社が伸びました。
26歳の時には宮城県に工場を作りました。そんな勢いだったのがオイルショックで壁にぶつかって、10年かけて貯めた会社の資産が、たった2年で底をついた。結果的には、工場2つが維持できないということで、古い大阪の工場閉鎖をして、新しい宮城県の工場に移転しました。
■景気に左右されない商品開発
――そのように景気が落ち込んだときに、もうダメだと思われたりしませんでしたか?
いや、もちろんね。オイルショックっていうのは、今までのいろんな不況の中でも、非常に深刻な不況でした。どうすればいいのか非常に悩みました。
その中で、結局メーカーはプロダクトアウト、生産者目線でモノを開発していたんですね。そうじゃなくって、消費者目線でこの商品開発をすれば、あまり好不況に影響しないということを自分で考えました。そして、この生活者視点の商品開発にシフトしました。
――どうしても景気に左右されてしまう企業が多いと思うんですが、どうしてそういった考えにたどり着いたんですか。
そうですね。20代の10年間、汗水流してつくり上げた会社の財産が、やっぱり大きな不況の中で2年でダメになる。であれば、いかなる時代環境においても、利益の出せる、そういう仕組みを確立したいというのが基本にありました。そのためには、あまり競争のない新しい需要を作ることがやはり一番だろうと、このように思いました。
■植木鉢をプラスチックに
――いろいろと研究をされたということを伺ったことがあるんですが、やはり、オイルショックの中でも利益を上げている会社があるということを大山さんご自身が、研究をされていましたか。
プラスチックというのは100%石油でできますので、我々の同業者というのは大変なダメージを受けたんです。その中でも、しっかりと利益を出している企業はありました。それはどういうことかというと、プロダクトアウトではなく、マーケットインやユーザーインで開発している会社がそのような形であったので、我々もそちらの方向性ですすめることにしました。
――具体的にそれで新しく開発した商品というのはどういったものがあるでしょう。
当社は水産だけでなくて、農業の育苗箱、田植えに使う時の苗を育てる箱ですね、この技術がありましたので、その技術を生かして、園芸用品を開発しようと。その当時、素焼き鉢だったのを、プラスチックに変えるということで、この育苗箱の技術が役に立ちました。