大学が消えるマチ 突然の移転発表 「想像つかない」困惑する町民 経済にも影響
北海道医療大学の移転が発表されてから1か月余り。
大学生がまちづくりに関わってきた当別町にとって影響は計り知れません。
学生とともに歩んできたマチのいまを取材しました。
小さな町に衝撃 突然の大学移転発表
当別町でそば店を経営する鶴野信幸さんです。
昼どきの客が多い時間帯は、学生アルバイトが欠かせません。
そんな鶴野さんの頭を悩ませる出来事が起きました。
(そば処福住 鶴野信幸さん)「ちょっと想像つかなかったな。いるもんだと思っているからね。なんともわからないですね」
田園風景が広がる当別町。
石狩平野の一部という恵まれた土地条件を生かし、農業が基幹産業として発展してきました。
そして、発展の追い風となったのが北海道医療大学の存在です。
前身の東日本学園大学が音別町にあったキャンパスを廃止して当別に移転してきたのは1985年。
学生数はおよそ3500人。
大学は50年近くまちづくりの一翼を担ってきましたが…
(東日本学園 北海道医療大学 鈴木英二理事長)「ボールパークに新たにキャンパスを設置することとなりました」
10月10日。
北広島市やFビレッジとともに開いた記者会見で、北海道医療大学は2028年4月を目標に、全ての学部と病院などをボールパークに移転すると発表しました。
移転の理由として大学は、学生の確保にむけた利便性の向上を挙げています。
(東日本学園 北海道医療大学 鈴木英二理事長)「心躍るものがあります」
(北広島市民)「北広島市はまだまだ伸びるところだと思うし、若い人が集まるのは悪いことではないと思います」
学園都市線の終点・北海道医療大学駅です。
朝、列車が到着するたびに多くの学生が駅に降り立ち大学へと向かいます。
当別町と深い関わりをもってきた大学。
地域社会をともに築き上げてきました。
(当別町 後藤正洋町長)「まちづくりの柱に大学があった。全く(大学が)なくなると抜本的に変えなければならない」