対立のさなか…合唱に託した若者たちの思い
6月から始まった戦闘で2000人を超える犠牲者を出したイスラエルとパレスチナ。その紛争のさなか、双方の若者が参加する合唱団が来日。彼らの歌に託した思いを取材した。
8月下旬、ある場所からやってきた合唱団が成田空港に到着した。その場所とは、イスラエルとパレスチナだ。今年6月から約2か月半、パレスチナ自治区のガザ地区では空爆が続き、女性や子どもら2100人以上が死亡。一方、イスラエル側もロケット弾による攻撃で兵士、市民あわせて70人近くが死亡した。2つの民族が住む場所は、高いところで8メートルもの壁によって分断され、パレスチナ人は壁を越えて自由に行き来することはできない。そんな両者が共に生活する特別な街が、エルサレムだ。合唱団はここで活動している。
エルサレムにあるYMCA(=キリスト教青年会)の一室から、美しいコーラスが聞こえてきた。イスラエルとパレスチナ、双方の学生によって構成されたYMCAエルサレム・ユース・コーラスの歌声だ。彼らの活動が特別なのは、歌の練習だけではなく、“対話”とよばれるディスカッションを行っていること。同じ街に住みながら、話すこともなかったというイスラエルとパレスチナの若者たち。合唱団の設立以来2年に渡って、お互いの生活環境の違いや歴史、現在の紛争などについて話し合ってきた。
タブラと呼ばれる太鼓をたたくのは、パレスチナ人のアラ君(17)。合唱団に入った理由をたずねると、こう話してくれた。
「イスラエル人が僕たちのことをどう考えているか知りたかったんだ」
そして、パレスチナ人もイスラエル人と同じ権利があることを伝えたかったのだという。
一方、イスラエル人のエビヤタール君(18)はこう語る。
「合唱団に入るまで、なぜパレスチナ側がロケット弾を発射するのかと思っていたけど、今はその理由もわかる。でも、今でもそれは間違っていると思う」
実は、ガザの紛争で来日が危ぶまれていたが、そんな中でも彼らは練習や“対話”を続けてきた。“対話”をする時には、お互いが痛みを伴うような率直な意見や気持ちをぶつけあってきたのだという。そして、全員で来日を果たしたのだ。そこには、ある共通する思いがあった。その思いをアラ君がこう教えてくれた。
「今、起きているような紛争の中でも、僕たちが影響を受けずに活動できていることを伝えたかった」
移動中のバスの車内でも、歌声は絶えない。ただ単に“同じ人間”だというだけではなく、異なる宗教、異なる考えを持つ“違う人間”なのだと尊重し認め合う。だからこそ、何千人もが命を落とす紛争の中でも、彼らはお互いを理解し共存できているように見えた。
京都ではストリートライブを行った。街頭に力強い合唱が響く。終了後、1人の女性がエビヤタール君の元へやってきた。
「どうぞお元気でね。私の一生の記念の思い出です」
彼らの思いは日本の人々にも確かに伝わっていた。
そして、日本最後のコンサート。東京の会場は満席となった。彼らが最後に選んだのは “Home”という歌。この合唱団が、2つの民族が共に過ごせる場所になるよう、願いをこめた歌だ。イスラエルとパレスチナ、双方の若者たちの思いをのせた歌声が会場を包みこんだ。エビヤタール君は、合唱を通して伝えたかったことをこう語る。
「僕たちはみんな同じ人間で、僕たちがやろうとしていることは夢物語なんかじゃなく、現実のものだと見せることができたと思う」
そして、アラ君は自らの夢を語ってくれた。
「音楽と平和の活動を続けて、将来はそれを教える側になりたい」
根深い対立の歴史を持つ2つの民族。歌だけでその紛争を終わらせることは難しい。しかし、真剣にお互いに向き合う彼らの姿勢は、今後のイスラエル人とパレスチナ人の共存の、ひとつのモデルケースといえるかもしれない。