相次ぐウクライナ人男性の“国外脱出” 隣国ルーマニアでは氷点下の川越えで死者も…ルーマニアの対応の実態は?
ロシアによるウクライナ侵攻が開始から2年を迎える中、戦闘の長期化も相まって、ウクライナ人男性が兵役から逃れるために、不法に国外へ脱出するケースが相次いでいて、問題となっています。
川や山を越えて不法入国するウクライナ人への対応に追われる隣国のルーマニアを取材しました。
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■相次ぐウクライナ人男性の“国外脱出”ブローカーに賄賂で脱出を試みる人も
ロシアによる侵攻が続くウクライナでは、「国民総動員令」によって、18歳から60歳の男性は、一部の特例を除き、国外に出ることが禁止されています。そのため、ウクライナ人男性が兵役から逃れるために、不法に国外へ脱出するケースが相次いでいて、国内で大きな問題に。
ウクライナの国境警備隊は、ブローカーらに賄賂などを支払って不法に国境を越えようとしたウクライナ人男性たちを拘束していて、その様子などを動画で公開して、警鐘を鳴らしています。
こうした状況に、ウクライナと国境を接する国はどのように対処しているのか取材するため、隣国のルーマニアに向かいました。
ルーマニア北部のマラムレシュ県。ここは、深いところでは水深3メートルある川と、約2000メートル級の山がウクライナとの国境沿いに連なっています。
ルーマニアの国境警察によりますと、侵攻直後からこれまでに、約8000人のウクライナ人が不法入国してきていて、その全員が18歳から60歳の男性だということです。
そのうち、川を越えた人は約3000人。川幅は50メートルから80メートルほどで、泳いで渡ってくる人がほとんどだといいますが、国境警察は、その過酷な実態を話します。
ルーマニア国境警察の広報担当 ユリア・スタンさん「これまでに、16人のウクライナ人男性が、不法入国の際に亡くなっていて、そのうち、9人が川を渡る時に亡くなりました」
冬には、川の水温が氷点下近くになるため、川越えの際には死者も出る事態に。それでも死のリスクを覚悟して、不法入国する人があとをたたないといいます。
こうした状況に、ルーマニアの国境警察は、不法入国者の保護のために毛布や衣服などを準備して、昼夜を問わず川や山をパトロールしています。
さらに、川を見渡せる丘には、一台の車が。中では、サーモグラフィーを使って、川を渡る人を検知。パトロール隊に知らせて不法入国者を安全に保護します。不法入国者を見つけた場合は、健康確認をして病院に搬送し、その後、現地当局で一時保護の権利取得の手続きを進めます。
ルーマニアの現地当局は、EU=ヨーロッパ連合の法令にのっとって、ウクライナ人の不法入国者に対しては、国内での一時的な保護の権利を与えていて、助成金の支給のほか、ルーマニアでの就労を可能にしています。
国境警察でパトロールを担当しているブラド・マルキシュさんは、これまでの経験を踏まえて、今後もウクライナ人の保護に取り組みたいと話しました。
ルーマニア国境警察 ブラド・マルキシュさん「これまでに保護してきたウクライナ人男性の中には、愛犬を連れて命からがら逃げてきた人や、ウクライナ当局から逃れて国境越えに成功したことに喜ぶ人がいた一方で、国や家族を残してルーマニアに来たことに悲しみを覚えている人もいました。それぞれのウクライナ人男性が抱えている感情は複雑だと思います。ただ、ルーマニアの国境警察としては、これまでの経験を踏まえて、不法入国者が増えても減っても、その役割を果たしていくつもりです」
国境沿いの街には、ルーマニアにルーツを持つウクライナ人男性の姿が。中には、前線の戦闘を経験したあとに、不法に国外に脱出した元兵士もいましたが、メディアであることを明かして話を聞こうとすると、皆一様に口をつぐみました。
その中で、取材に応じたのは、ルーマニアに住むデニスさん。侵攻直後に子どもが3人いるという特例で、家族とともにウクライナから出国し、今はルーマニアの家具の工場で働きながら子どもたちを育てています。
デニスさんは特例を使って合法的に出国しましたが、不法に国外脱出するウクライナ人男性があとをたたないことについて聞いてみると…
デニスさん「それが彼らの人生です。その選択は正しいと思います。少なくとも、私の意見では、今の戦争は、予備役を含めて戦い方を知っている人たちがするべきで、私たちのような素人が戦うべきではないと思います」
一方で、ウクライナ政府は、国外にいる男性に、徴兵に向けた名簿への登録を要請する法案を審議中。さらに、ウクライナのウメロウ国防相が、国外にいる全ての男性に対して、軍隊へ志願するように要請も。侵攻開始時に国外にいたり、その後脱出したりしたウクライナ人男性に対しても、動員される可能性が刻々と迫ってきています。
デニスさんは、もし直接要請が来ても、家族とともにいることを選ぶといいます。
デニスさん「子ども3人を母親1人で育てるのは現実的ではありません。私たちの家族は、国の将来を見ているのではなく、家族の将来を見ています。妻も安全なこの国にとどまることを希望しているので、家族とともにいることを選ぶと思います」
それでも最後には、侵攻開始後にあとにした母国への想いを吐露しました。
デニスさん「早く戦争が終わって、ウクライナにある家に戻り、以前の仕事をして、親族や友人らとともに暮らしたいです。願いはただそれだけです」