ウクライナ侵攻からまもなく1年 仮設住宅の建設進むも…日常が戻る兆しは全く見えず…堪え忍ぶ避難生活
ロシアによるウクライナ侵攻から間もなく1年です。多くの人が家を失い、故郷を追われました。多くの仮設住宅が建設されましたが、急ごしらえならではの問題も起きています。かつての暮らしを取り戻す見通しもつかないまま、堪え忍ぶ日々が続いています。
◇
ウクライナ西部の都市・リビウ。中心部にも雪がつもり、厳しい冬のただ中にあります。私たちは、最近できたばかりの仮設住宅を訪ねました。リビウでは2週間ほど前から、冬用の仮設住宅への入居が開始されましたが、需要の増加で、受け入れ人数を増やすための工事が続いていました。
この1年、ウクライナ各地で多くの人が家を失い、住み慣れた土地を追われました。多くの仮設住宅が建設されましたが、急ごしらえならではの問題も起きています。東部ドネツク州からリビウに避難してきた、高校生のサーシャさんに話を聞きました。
サーシャさん
「(以前の仮設住宅は)停電すると、とても寒くなりました。毛布をかぶっていても寒かったです」
サーシャさんが以前、入居していた仮設住宅では、頻発する停電で暖房が使えない日もあったといいます。リビウでは発電機を完備した冬用の仮設住宅を建設し、3週間前にようやく入居が始まりました。
サーシャさん
「ここは前よりずっといいです。暖かくて、通信も使えるので」
◇
しかし、将来への不安は人々の心に重くのしかかったままです。
今、激しい戦いが繰り広げられている東部のバフムト。このバフムトから戦火を避け、去年6月に西部リビウに避難してきたワシリーさんは、しばらく町中のアパートで暮らしていましたが、今は仮設住宅に移りました。その訳は――
ワシリーさん
「アパートの家賃が高いからです。誰もがそのお金を払えるわけではありません」
蓄えも底をつき、家賃がかからない仮設住宅に移らざるを得ませんでした。
ワシリーさん
「家に帰る…それが唯一の願いです」
ワシリーさんは見知らぬ土地で堪え忍びながら、故郷に戻る日を待ちわびています。
◇
愛する家族も引き裂かれたままです。
子ども4人とともに仮設住宅で暮らしているテチャナさん。一家が住んでいたのは南部の激戦地・マリウポリです。夫と子ども4人とともに約150キロを5日間、歩いて避難。その後、西部リビウまでたどり着きました。
当時、私たちは一家を取材していました。夫のエウゲンさんは無事に避難ができ、安堵(あんど)の表情を浮かべていました。
エウゲンさん(去年5月)
「子どもが4人もいたけど、(ロシア側に)連れていかれなかったのは奇跡的でした」
しかし、今、家族のそばにエウゲンさんの姿はありません。エウゲンさんは去年11月、志願して軍に入ったといいます。
テチャナさん
「夫がいないと大変です。とても活発で、さまざまなことをしてくれました」
テチャナさんは夫の身を案じながら、戦いが終わる日を待っています。
テチャナさん
「ウクライナの勝利には時間がかかると分かっています。でも、私はウクライナの勝利を信じています」
日常が戻る兆しが全く見えないまま、侵攻から1年を迎えようとしています。