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【イスラエル取材記・前編】数秒おきに断続的な砲撃音…快晴なのに“煙”でかすむガザの空

2023年11月18日 12:30
【イスラエル取材記・前編】数秒おきに断続的な砲撃音…快晴なのに“煙”でかすむガザの空
20歳のイスラエル兵の葬儀

イスラエルとイスラム組織「ハマス」との軍事衝突で緊迫する中東情勢を受け、私は発生12日後からおよそ20日間にわたりイスラエルで取材を行った。パレスチナ自治区ガザ地区をのぞむ町で、戦況が進むにつれ目にした“変化”とは…。
(NNNニューヨーク支局長 末岡寛雄)

■テルアビブへ…故郷イスラエルに帰るユダヤ人 ごった返す機内で見たもの

10月19日、ハマスによる攻撃から12日が過ぎた日の昼すぎ、アメリカ・ニューヨーク郊外にある空港のチェックインカウンターには、黒い帽子、白いシャツに黒いスーツという伝統的な服装を身にまとった大勢のユダヤ人男性とその家族が詰めかけていた。第二次世界大戦のホロコーストの記憶があるユダヤ人は、子だくさんの家庭が多い。子ども4~5人を連れた一家や、10を優に超える大量のスーツケースを預けている家族もいた。

この日、イスラエルの国営会社、エル・アル航空のテルアビブ行きの機内は満席だった。食事が終わると機内の男性が一斉に立ち上がり、機首に向かって――すなわちイスラエルの方向に頭を垂れ、一斉にユダヤ教の祈りが始まった。通路を挟んで座った女性に話を聞くと、今回の攻撃を受けて、母国と親戚を助けるためにたくさんの物資をイスラエルに運ぶという。

ニューヨーク都市圏(ニュージャージー州、ペンシルベニア州を含む)には、イスラエルのテルアビブに次ぐ、およそ210万人のユダヤ人が居住していて、その数はエルサレムの70万人よりも多い。ガザ情勢の悪化を受けて欧米の航空会社が軒並みテルアビブ便を欠航とする中、エル・アル航空はニューヨークとテルアビブの間を安息日を除いて一日4便も飛ばしていて、物心両面でイスラエルの支えとなっている路線であることがうかがえた。

大西洋航路の短い夜が明け、テルアビブに到着すると、隣に座った女性にこう話しかけられた。「あなたは、どっちの味方なの?」と。

降機すると目の前に現れたのは「シェルター」の方向を示す看板。イスラエルが戦時状態だということを一気に現実として感じた。

■家族や報道陣でごった返すテルアビブの人質家族センター

イスラエルに到着してまず取材で訪れたのは、テルアビブにある人質の家族が集まるセンターだった。ハマスによって連れ去られたイスラエル人をはじめとする人質の家族が、情報を求めて詰めている場所で、支援者や報道陣でいつもごった返している。センターのすぐ側にある美術館前広場は、人質解放を求める関連イベントが行われる会場となっていた。人質となった200人あまりのポスターが掲示されているほか、帰宅を願って“安息日の食卓”が展示されている。

そこで私が出会ったのは、テルアビブから車で2時間以上かかるガリラヤ湖畔に住む男性。キブツ(=生活共同体)で息子が連れ去れられ、孫は亡くなり、息子の帰りを待って毎日、広場で情報を求めて立っているという。男性は凜(りん)とした姿で息子のポスターを持ち、私の目を見つめて「この非道なニュースを、世界に伝えてほしい」と静かに語った。

■数秒おきに砲撃音が…ガザ地区との境界からわずか2キロの町「スデロット」

“ガザ地区への最前線”として各国のメディアが中継を行う場所の1つが、ガザ地区との境界からわずか2キロにある「スデロット」という町だ。町中はハマスの攻撃を受けていて、警察署が跡形もなく崩壊していた。

初めて訪れたのは10月24日。町の高台では、世界各地から集まったメディアがガザ地区へとカメラを向けていた。この頃はイスラエル軍による地上作戦が行われる前で、数分おきに空爆の音が聞こえていた。

しかし、地上作戦を拡大した27日以降、スデロットを再訪した際には、短いときは数秒間隔で砲弾や戦車の音などが鳴り響いていた。さらに、目標を示す照明弾のような閃光(せんこう)がガザ地区へと落ちていく様子も、はっきりと見える。目の前を戦車が砂ぼこりを上げながら通り過ぎていく。高台からガザ地区へと目をこらすと、天気は快晴のはずなのに、攻撃による黒や白の煙でガザ地区の上空だけは空がかすんでいた。カメラをズームして見ると、黒焦げになった建物もとらえることができた。この煙の下で、市井の人々が危険にさらされ、亡くなっているのだ。

■「空が泣いている」…20歳のイスラエル兵の葬儀

11月1日。この日、イスラエル国内は19歳から24歳までの11人のイスラエル兵が戦闘で亡くなったというニュースで沈んでいた。移動中のカーラジオからは、女性が歌うもの悲しい曲が流れてくる。同行したイスラエル人によると、ある朝、突然姿を消した少年について歌った「彼がいた美しい日々に戻りたい」という歌詞だそうで、国全体が追悼ムードに覆われていた。

私たちはこの日、亡くなった20歳の兵士、ラビ・リフシットさんの葬儀の取材が許された。葬儀が執り行われたのはエルサレムにあるヘルツェルの丘。ホロコースト博物館や国立軍事墓地などがあり、追悼の山として知られている場所だ。葬儀会場となった屋外に設置されたテントの下には、普段着のまま大勢の人が続々と集まってくる。国民徴兵制のイスラエルでは、軍人が亡くなることは他人事ではなく、家族が死ぬことと同じ感情なのだという。

ユダヤ教のラビ(宗教指導者)の歌声と祈りの声が響く中、棺に土がかけられると、家族が抱き合って涙を流し、すすり泣く声がこだました。折しも空からは雷鳴がとどろき、土砂降りに。イスラエル人は「空が泣いている」と私たちに語った。

イスラエルとハマスの戦闘ではこれまでに、イスラエル側で1200人、ガザ地区では1万人以上が亡くなっている。イスラエル・パレスチナと関係なく、それぞれの死で1万回以上の涙が流されたことを想起し、命の重みを感じる日となった。

【後編】へ続く>

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■筆者プロフィール

末岡寛雄
NNNニューヨーク支局長。日本テレビ報道局で宮内庁、厚労省を担当し、「news zero」のデスク、災害報道担当、サイバー取材班プロデューサーをつとめる。気象予報士。イスラエルへは2005年以来の再訪。趣味は音楽鑑賞。