【イスラエル取材記・後編】エルサレム旧市街の“静けさ” テルアビブで感じた異様な日常
イスラエルとイスラム組織「ハマス」との軍事衝突で緊迫する中東情勢を受け、私は発生12日後からおよそ20日間にわたりイスラエルで取材を行った。戦況が進むにつれて感じた、イスラエル国内の世論の変化とは。
(NNNニューヨーク支局長 末岡寛雄)
<【前編】からつづく>
■不気味な静けさと日常…エルサレム旧市街で感じた“均衡”
取材の合間に、エルサレムの旧市街を歩いてみた。金曜日は、イスラム教の安息日にあたる。ハマスとの衝突が発生した翌週に迎えた金曜日には、旧市街でも発砲音がするなど物騒だったそうだが、私が歩いた日は拍子抜けするほど城壁の中に人気(ひとけ)が感じられなかった。2005年に観光で訪れた時と比べても、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」やイスラム教の聖地「神殿の丘」周辺は、どこもひっそりとしている。
イスラム地区で道路に机を出してゲームに興じていたアラブ人は、人なつっこい笑顔で「きょうは俺たちは大人しくしているから、大丈夫だよ」と我々に声をかけてきた。イエス・キリストが十字架を背負って歩いた道「ビアドロローサ」も、普段なら巡礼の観光客がごった返しているはずが、両脇の店もシャッターを下ろして活気が全くない。そんな中でもイエスが十字架にかけられ葬られたキリスト教の聖地「聖墳墓教会」では聖職者による祈りが捧げられ、荘厳な歌声ががらがらの教会内に響いていた。朝にはイスラム教徒の子どもたちが、ユダヤ人の間を縫って元気よく通学する日常の風景にも出くわした。
旧市街の城壁の中では、ユダヤ教徒・キリスト教徒・イスラム教徒があまりに近い距離で生活している。宗教をめぐる対立が激化する中でも、お互いのテリトリーを侵すことなく1000年以上、均衡を保ってきたことがうかがえた。
一方で旧市街を出た途端、我々の目の前を何台もパトカーがサイレンを鳴らして通り過ぎていった。聞けば、ユダヤ人がアラブ人に刺されて、容疑者はすでに射殺されたのだという。神々しさを感じた旧市街から、一気に現実に引き戻された瞬間だった。
■武力衝突後、イスラエル国内で感じた世論の“変化”
私はハマスによるイスラエルへの攻撃と、イスラエルの報復が始まった12日後から、イスラエルに入った。取材を始めた当初のイスラエル国内は、“ハマスによる攻撃は、第二次世界大戦のホロコースト以来、最多のユダヤ人が殺された”テロだとして、好戦的なムード一色だった。10月20日発表の世論調査では「地上侵攻すべき」と答えた人は65%を占めていた。
しかし、10月27日には半数近くの49%が「地上侵攻を待った方が良い」と答え、11月10日には「人質解放や人質の情報などを条件とした停戦を支持する」と答えた人の割合は、およそ60パーセントを占めるようになった。時間が経つにつれ、次第に停戦を望む声が大きくなっていることがわかる。
一方、イスラエルのネタニヤフ首相の支持率は、ハマスによる攻撃を防ぐことができなかった上、人質の奪還にも時間がかかっていることを受けて、低下したままだ。国民はネタニヤフ首相へのいらだちを募らせていて、取材中も至るところで首相への厳しい言葉を耳にした。
■係争の地「ゴラン高原」もヒズボラの攻撃に備え…緊張状態に
イスラエル北部にも足を運んだ。ガリラヤ湖近くのキブツ(=生活共同体)には、北部の国境沿いの町から避難している人がいる。イスラエルの北には隣国のレバノンがあり、そのレバノンにはハマスへの支持を表明しているイスラム組織「ヒズボラ」が活動している。避難してきた人が住んでいた町は、ヒズボラからの攻撃を受けたという。
イスラエルが抱えている“緊迫の最前線”を取材するため、「ゴラン高原」にも足を運んだ。ゴラン高原は、シリア・レバノン・イスラエルに接する場所にあり、水源があることから軍事上の要衝として知られている。シリア領であったが、1967年の第三次中東戦争を契機にイスラエルが占領を続けている。道沿いにはシリア軍が残した地雷原に立ち入らないよう示す黄色い標識と鉄条網が並んでいるほか、シリア軍施設の遺構も至る所に残されている。
眺望の良い地点からは目を上げると、レバノンとの国境にありヨルダン川の流れを発するヘルモン山、眼下にはシリアの町が見渡せて、ゴラン高原が軍事上の要衝といわれる理由を実感することができる。ここを押さえると、シリアもイスラエルも上から見渡せるのだ。カメラのファインダー越しにはシリア国旗が見え、崖下に足を踏み出せば、シリアの町にものの数分でたどり着けそうな場所である。
係争の地「ゴラン高原」は第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)でシリアが一時的に奪還したが、結局、イスラエル側が再占領した。展望台には、その再占領を誇るイスラエルの勇ましい記念碑が建てられていた。
この軍事上の要衝であるゴラン高原にあるイスラエル軍の拠点を、今回、日本メディアとして取材することができた。「詳しい位置は一切明かすな」とイスラエル軍担当者の注意があった上で報道陣が案内されたのは、「ヒズボラ」との戦闘に備えて配備されているロケットランチャーの前だった。
ハマスの大規模攻撃があった10月7日の翌日、レバノン側からこのイスラエルが実効支配する地域に砲撃があった。「ヒズボラ」が犯行声明を出し、パレスチナの人々との「連帯」を示すために砲撃を行ったと主張した。その後も攻撃は続いていて、イスラエル軍は軍備を強化し、ヒズボラの攻撃にも備えているのだという。
現場にいたイスラエル軍兵士は「ガザ地区だけではなく、この地域も守らなければいけない。こちらの準備は整っている」と勇ましく語った。
■“中東のマイアミ”「テルアビブ」で体験した異様な日常
“中東のマイアミ”とも称されるテルアビブ。11月に入っても日中は温暖で、半袖で過ごすことができる。地中海沿いには砂浜が広がり、安息日の金曜日にはビーチバレーに興じる人が海岸に繰り出していて、一見、平和なように見える。
しかしよく目をこらすと、デート中とおぼしきカップルが男女ともライフルを肩にかけて歩いていた。レストランでの食事中にスマホから空襲警報のアラームが鳴り響くと、客らは食事を中断してシェルターへと移動する。イスラエル軍の防空システム「アイアンドーム」によるドーンという迎撃の音を確認すると、再びテーブルに戻り、何事もなかったかのように食事を続けるという異様な日常が続いている。
血で血を洗うような報復の連鎖で幸せになる人など、いない。こうしている間にも、市井の人々の命が失われている。
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末岡寛雄
NNNニューヨーク支局長。日本テレビ報道局で宮内庁、厚労省を担当し、「news zero」のデスク、災害報道担当、サイバー取材班プロデューサーをつとめる。気象予報士。イスラエルへは2005年以来の再訪。趣味は音楽鑑賞。