困惑…銀座・ウクライナ出身女性のロシア食品店 「看板」を外すよう求められる
東京・銀座にあるロシア食品専門店「赤の広場」。この店では今年2月末、ロシアによるウクライナ侵攻の直後に、何者かによって店の立て看板が壊されました。数日後、店主は「私はウクライナ・ドネツク出身」と明かし、「早く平和が訪れるように」とツイッターに書き込みました。
それから2ヶ月。「今度はビルのオーナーに『赤の広場』の看板を外すよう求められた」と助けを求めています。
■店の看板が壊されるものの、「早く平和が訪れよう」願う
ロシアがウクライナに侵攻した直後の2月28日、東京・銀座のロシア食品専門店「赤の広場」で、何者かが自転車で店舗前にある立て看板に衝突、看板が壊される事件がありました。
その2日後、「赤の広場」の店主は自らのツイッターで「ロシア食品を扱っているという理由からでしょうか。店名のせいでしょうか…。実は当店代表はウクライナ人、スタッフもウクライナ人、ウズベク人、日本人です。そのうち5人はシングルマザーとして家族の生活を支えるために働いています」と明かしました。
そして、「私たちがどんな国の出身者でも、お店と政治につながりはありません。私たちは日本とウクライナ、ロシア、その他の国々との懸け橋になりたいという気持ちで働いています。早く両国に平和が訪れて、お互いの国が仲良くなることを心から望んでいます」とコメントしました。
■「ロシアにもウクライナにも親戚や友だちがいる」
事件から2ヶ月が過ぎた今月初め、「赤の広場」はどうなっているか、記者はあらためて店を訪ねました。
「いいお客さんに恵まれて、何とか店を続けています」と迎えてくれたのは、店主のヴィクトリア・ミヤベさん(48)。
旧ソ連時代の1974年、ウクライナ南東部ザポリージャに生まれ、15歳で東部のドネツク州に移り住みました。大学卒業後に来日し、13年前に食品輸入会社を立ち上げ、去年3月、念願だった東京初の旧ソ連圏の食品を専門に販売する店を開きました。
「昔はロシア人もウクライナ人も同じソ連という国の人でした。みんなで仲良くしていました。関係がおかしくなったのは、この10年くらいです。私は、ロシアにもウクライナにも親戚や友だちがいて、戦争になったのは本当に悲しくてしょうがないです」と涙目で訴えました。
■「赤の広場」の看板を外すよう要求される
店の看板が壊された後、「有り難いことに、お客さんから励ましや応援をたくさん頂きました」と話す一方、実は今度、ビルのオーナーからあることを要求されたといいます。
それは、店の外に掲げられている「赤の広場」の看板を外すよう言われたということです。
「私が店を『赤の広場』にしたのは、旧ソ連圏の国々からいろんな商品を集めたいので、旧ソ連の中心地で、『美しい』という意味もある広場の名前がいいと思ったからです」「この店名は今の政治的な問題と一切関係なく、美しい場所、ロシア文化の象徴であり、反ロシア感情からそのような話が出るのは大変むなしく、残念なことだと感じています」一方、ビルのオーナーに話を聞くと、店に危害が及ぶ恐れや他のテナントも入居していることなどから、ロシアを連想させる「赤の広場」の看板を外すよう求めたと話しました。
取材中に「赤の広場」に買い物客の姿が途絶えることはありませんでした。ヴィクトリアさんは、「これはただの食べ物です」と訴え、食品の原産地や食文化、国籍をターゲットにされることに困惑を見せ、助けを求めています。