「警報と爆発音」「両親と会えず・・・」キエフのホテル従業員が語る首都緊迫の様子
ロシア軍がウクライナに侵攻してからおよそ2週間がたった3月8日、首都キエフにあるホテルの従業員男性がNNNの取材に応じ、空襲警報や爆発音で緊迫する首都の現在の様子や、離ればなれとなってしまった両親について話してくれました。
■「爆発音は1日に6~7回」
取材に応じてくれたのはディミトロ・ボイチェンコさん、22歳。
首都キエフの中心地にある大型ホテルの従業員です。
現在、ホテルは営業していませんが、避難してきた近隣住民を受け入れ、食事や衣服などを提供しているといいます。
「戦争が始まって、爆弾が落ちて人々は恐怖から避難先を求めてホテルに避難してきました。部屋を開放して、服や食事を提供しました。今は10人ぐらいが避難しています。安全な場所をみつけてすでにホテルを離れた人もいます。キエフはロシア軍の主要な攻略ポイントなので、より安全なウクライナ西部に移ったようです」
ホテルはビジネス街の中心に位置していて、日頃は多くの人で賑わっていたそうですが、今は閑散としてほとんど人通りもないといいます。
「ここはビジネス街ですが人通りはほとんどありません。ビクトリースクエアという、キエフ最大規模の広場も今はもぬけの殻です。ここキエフでも毎日、爆撃音が聞こえます。先週木曜日は多くて1日に30回ぐらい。今は1日に6、7回聞こえてきます。主に夜間です。10分とか30分ごとに空襲警報が聞こえて、外はすごくうるさいです」
■長期化すれば「食料不足」の懸念も・・・
首都キエフではいまのところ食料も水も不足しておらず、貯蔵していたもので1か月はもつだろうといいます。
ただ、先行きへの不安から食料品を買いだめする人もいて、スーパーは常に品薄状態だといいます。
「スーパーマーケットには午前10時とか午前11時までに行かないと、棚は空になってしまいます。私は昨日、午後1時ごろにスーパーマーケットに行きましたが何も残っていませんでした。残っていたのはバブルガムだけ。ボランティアの方々がウクライナ西部から食料品を運んできてくれているので、今は大丈夫ですが、長引くと食料不足も問題になるかもしれません」
■両親とは離ればなれに・・・
ボイチェンコさんは、ウクライナ北部の街で両親と暮らしながらキエフのホテルまで通勤していましたが、勤務中に戦争が始まったため、それ以来、帰宅することもできず両親とは離ればなれとなってしまったといいます。
「2月24日に休暇で自宅に帰ろうとしたんですが、そしたら戦争が始まってしまい、ホテルに足止めとなりました。私の住んでいる街はウクライナ北部でロシアとベラルーシとの国境近くです。最もひどい場所のひとつで、キエフにつながる橋が爆破されたため、両親は足止めされていて、私も帰ることができません。両親とはずっと電話で話すだけで、非常に心配しています」
ボイチェンコさんは最後に、世界中の人に向けてこう語りました。
「どうか支援の手を止めないでください。みなさんの支援が非常に大事です。また、ウクライナがこの戦争に勝つということが大事です。どうか支援を続けて、やれることをすべてやってください。私たちは自分の命をかけて、私たちの自由のため、安全のために戦い続けています」