映画で描かれた“原爆の父”オッペンハイマーの葛藤 「もう二度と核兵器を…」孫が語る祖父の願い
アメリカでこの夏、原爆の開発者らを描いた映画が話題となりました。原爆開発の歴史から学ぶべき教訓とは何か。関係者を取材しました。
この夏、アメリカで大ヒットした映画『オッペンハイマー』。「原爆の父」とも呼ばれる科学者、オッペンハイマー氏を描いた作品です。
第二次世界大戦中、アメリカが極秘に進めた原爆開発計画「マンハッタン計画」で、オッペンハイマー氏は科学者らを統括し、1945年7月、人類初の核実験を成功させました。
しかし、広島と長崎に原爆が投下されたのち、オッペンハイマー氏は「私は、手が血で汚れているように感じる」と語ったとされています。
映画にもオッペンハイマー氏の心の葛藤を表すシーンが描かれていて、見た人からは「彼は大きな罪悪感を感じていたんだなと」「同じ事を繰り返さないための重要なメッセージです」との声が聞かれました。
オッペンハイマー氏は、原爆についてどう考えていたのか。孫のチャールズさんがNNNの取材に応じました。
オッペンハイマー氏の孫・チャールズさん
「祖父は、我々がもう二度と核兵器を使わないことを願っていたと思います」
戦争が続く中、軍が主導する原爆開発を、科学者が途中で止めることはできなかったと、チャールズさんは指摘します。
一方でチャールズさんは、戦後、アメリカの水爆開発に反対し、核兵器の国際管理体制の整備を訴えた、オッペンハイマー氏の核軍縮に向けた行動にこそ着目してほしいと話します。
オッペンハイマー氏の孫・チャールズさん
「祖父は戦時中の行動について直接的に後悔を語ることはありませんでした。しかし彼は、戦争の結果生み出した核兵器と、世界がどう向き合うべきかを語ってきました」
チャールズさんの他にも、原爆開発の歴史から教訓を学ぶべきだと訴える関係者の子孫がいます。ジェームズ・ノーラン・ジュニア教授です。医師だった祖父のジェームズ・ノーラン氏は、マンハッタン計画で、核実験による放射線被害への対策を担当しました。
そのノーラン教授が見せてくれたのは、オッペンハイマー氏から祖父(ジェームズ・ノーラン氏)にあてた最初の書簡です。原爆投下の2年前、オッペンハイマー氏からの書簡には、すでに核兵器開発には放射線被害のリスクがあると認識していたことを裏付ける記載がありました。
オッペンハイマー氏は“放射線の危険がいっさい生じていない初期段階で、(実験参加者の)データをとっておくことが後々、非常に重要になる”と訴えていました。
医師たちは初の核実験の際も、周辺住民への健康被害を警告していました。しかし、機密の保持を優先する軍によって退けられたといいます。
その後、祖父のノーラン医師は、原爆投下直後の1945年9月、アメリカの調査団の一員として広島と長崎へ。自身が警告していた放射線の影響に苦しむ被爆者を目の当たりにしました。
祖父がマンハッタン計画に参加・ノーラン教授
「祖父は“日本での事は話せない”としながらも、“想像すらできないような、完全な惨状だった”と話しました」
現地調査の後もアメリカ軍は、放射線の影響を軽視。社会学者であるノーラン・ジュニア教授は、祖父の資料などをもとに一連の経緯を検証し、医師たちは軍の圧力を受け、放射線被害を隠ぺいする動きに組み込まれていったと分析します。
その上で、映画をきっかけに、核廃絶の必要性だけでなく、AIなどの新たな技術がもたらす「負の側面」についても考えて欲しいと話します。
祖父がマンハッタン計画に参加・ノーラン教授
「マンハッタン計画は、新たな技術に関する教訓、つまりその長期的な影響や、意図せぬ影響を考えるよう我々に促しています。技術を持っているなら使うべきだ、と必ずしも考えてはいけないのです」