ジャニー喜多川元社長ドキュメンタリー制作の英BBC記者にインタビュー「世界中の報道機関にとっての教訓に」
藤島ジュリー景子氏が社長を辞任し、東山紀之氏が新社長となることが発表されたジャニーズ事務所の会見。ジャニー喜多川元社長の「性加害」問題を取材してきたイギリスのBBCの記者は、会見をどう見たのか。「世界中の報道機関にとっての教訓に…」一連の「性加害」問題を報じてきて感じたメディアへの提言とは。
イギリスのBBCは、ことし3月、ジャニー喜多川元社長の「性加害」問題について、「日本ポップス界の『捕食者』」というタイトルのドキュメンタリーを放送。ドキュメンタリーでは、複数の被害者らが取材に応じ、ジャニー喜多川元社長の「性加害」の実態や、日本のメディアが問題について報じてこなかったことなどを取り上げました。
その後、日本で多くの被害者らが声をあげ、一連の「性加害」の問題が明るみになるきっかけとなったドキュメンタリー。そのドキュメンタリーを取材・制作したBBCのモビーン・アザー記者が、NNNの取材に応じ、ジャニーズ事務所側の対応や、日本メディアの問題点などについて語りました。
■「答えの出ていない疑問がたくさんある」
――ジャニーズ事務所の記者会見を聞いてどう思われましたか?
ドキュメンタリーが公開されてから、少しずつ進歩があったと思います。多くの勇敢な人たちが名乗りを上げ、声をあげたという事実、それが起爆剤になったと思います。もちろん、国連が日本を訪問したこともきっかけになったと思います。なので、藤島ジュリー景子氏が社長を辞任したことは大歓迎だし、それは進歩だと思います。この問題は、性加害があったことを認め、被害者のために正義を貫くことが必要だと思います。今日のこの瞬間、性加害の被害者は正義を手にしているのだろうか?その答えは圧倒的に「ノー」だと思います。
――事務所側は性加害を認めて謝罪をしましたが、今後何をすべきだとお考えですか?
謝罪を出したことそのものは、大きな進歩ではありません。私がドキュメンタリー制作のため、日本に滞在していた間、ドキュメンタリーには出てきませんが、2度ほど藤島ジュリー景子氏の家を訪ねました。これは本当に最後の手段でした。正式なルートでの連絡はすべて取ったものの、まともに取り合ってもらえなかったからです。そこで、藤島ジュリー景子氏にインタビューを試みましたが、沈黙の壁が立ちはだかりました。
しかし、7日の記者会見では謝罪がありました。藤島ジュリー景子氏が、本当の意味で初めて、ジャニー喜多川元社長が「性犯罪者」であったこと、一線を越えていたことを認めたことは、本当に重要な一歩だと思います。一方で、藤島ジュリー景子氏、ジャニーズ事務所の100%の株主です。これは問題だと思います。今後、どのような形で、どれくらいの時間をかけて、どのような話をし、何百人もの被害者にどのようにコンタクトを取るつもりなのか。まだ答えの出ていない疑問がたくさんあると思います。
■新社長の人選に「疑問符」
――東山紀之氏が新社長になったことについてはいかがですか?
彼のことはほとんど知りませんが、彼が元アイドルだったことはもちろん知っています。そのこと自体が問題になる可能性があると思います。私の理解では、彼は会社経営の経験がほとんどありません。ですから、彼が有名人であるということ以外に、彼に会社の社長になる理由があるのかどうか、本当に疑問だと思います。企業文化はトップが決めるものです。だから私は、ジャニーズ事務所には全面的な見直しが必要であり、おそらくアイドル文化やジャニーズ事務所が導入したシステムを経験していない人に引き継いでもらう必要があると思います。また、現時点では疑惑であって証拠もないですが、すでに新しい社長に対して様々な疑惑が持たれていることは本当に問題だと思います。ベストなスタートではないでしょう。
――藤島ジュリー景子氏と新社長の東山紀之氏に何か言いたいことはありますか?
私はこの場を借りて、藤島ジュリー景子氏にインタビューをして、この状況をどのように見ていたのかを理解したいと思っています。7日の記者会見で、彼らは性加害に気づいていなかったと一貫して言っていた。藤島ジュリー景子氏とジャニー喜多川元社長の行動が、いかに多くの人の人生に影響を与えてきたか、そして今日もなお、多くの人の人生に影響を与え続けているのか、本当によく考えてほしいです。7日、言及された被害者への金銭的な補償という考えは、ある意味で有効で、出発点だと思います。
しかし、彼らが失った人生の年月、彼らが感じた恥辱のすべてを取り戻すことはできません。中には、自分たちは何も悪いことをしていないのに、罪悪感を感じている人もいます。どんな補償でも、決して十分ではないと思います。私は、藤島ジュリー景子氏にこのような疑問と向き合ってほしいですし、ぜひ彼女に会って、インタビューしたいです。
――ドキュメンタリーが放送された後、インタビューした被害者などからどのような反応がありましたか?
圧倒的に多かった反応は、ドキュメンタリーが放送されて以来、被害者達が前向きな経験をしていること、そして議論のきっかけとなったので放送されたことを喜んでいる、というものでした。しかし、私は彼らからの信頼を当然のこととは思っていません。彼らがインタビューを受けると決めた判断はとても難しいことだったと思います。私たち取材班は、出演者全員にカウンセリングを提供することを申し出ました。今日に至るまで、誰ひとりとしてその申し出に応じてはいません。というのも、彼らはまだ、何が起こったのかを本当に理解できる段階には至っていないのです。それはとても悲しいことで、被害者の誰かが、セラピストに連絡を取ることができるようになれば良いと思っています。
――ドキュメンタリーの放送がきっかけで、多くの被害者が声をあげ始めました。このことについてどう感じていますか?
いまだに自分の身に起こったことを認めることが非常に難しい人たちがいます。彼らの多くは、アドバイスを求めたり、カウンセリングを受けたり、セラピーを受けたりすることがまったくできません。彼らの多くは、自分の家族にさえ話すことができないのです。だから、どんなときでも、私たちはまず被害者と連帯しなければならないと思います。
ドキュメンタリーを見ている人の中には、自分自身が被害者でありながら、自分自身に起こったことを認められない人がいるかもしれない。自分の家族にもそのことを話すことができない人がいるかもしれない。私はそのような人たちに絶対的な連帯を表明したいと思います。声を上げることは本当に勇気がいることですし、難しいことだと思います。私は、もし可能であれば、そのような人たち全員に、勇気を持って前に出て、声を上げるように訴えたい。彼らは何も悪くないのだから。ジャニー喜多川元社長が加害者であり、権力者であり、すべての過ちを犯した人物なのです。被害者には、絶対的な思いやりと敬意を示さなければならないと思いますし、より多くの人が声を上げ続けることを願っています。
――この問題はまだ続いていますが、ドキュメンタリーの第2弾の計画はありますか?
今のところはそのことについてお話しできません。ですが、毎週のようにこの問題は新しい章へとつながって続いていると感じているので、可能性はあります。
■「世界中の報道機関にとっての教訓に」
――日本の多くのメディアが、この問題を取り上げてこなかったこと、そしてBBCのドキュメンタリーの放送後も問題を直視してこなかったことについてどう感じていますか?
日本のメディアが、ドキュメンタリーの前から何十年もの間、この問題を無視してきたことは非常に問題だと思います。週刊文春は、最近だけでなく何十年もこの記事を取り上げていることはご存じでしょう。
一方で、日本国内のテレビ局、新聞、オンラインメディアなどを考えてみると、この話は無視されてきたと言ってもいいと思います。そしてそれは、被害者が無視されてきたことを意味するのです。報道機関と芸能界、特にジャニーズ事務所との関係には複雑なものがあることを知っています。何十年もの間、ジャニーズ事務所が権力を握っていたことも知っています。そのように大きな権力を持つことは危険だと思います。
私は、1つの組織、1つの会社が独占すべきではないと思っています。誰も、何がニュースになり、何が黙殺されるかを決めることはできないはずです。そして、これは日本国内だけでなく、世界中のすべての報道機関にとっての教訓だと思います。権力の所在を考え、ジャーナリストは外部からの圧力を感じることなくニュースを報道できなければならないと思います。
――日本のメディアの構造上の問題についてはどうお考えですか?
日本のメディアの構造は非常に独特なものだと思います。芸能界がしばしば極端な権力を握り、特定の報道機関に対して、ニュースにしてほしいことや、反対にニュースにしてほしくないことを伝えることができるのを目の当たりにして、私は困惑しました。そんなメディアは役に立ちません。日本国内では、非常に狭い専門分野を持つ多くのジャーナリストがいることも理解しています。そのため、ある狭い分野においては人間関係を築くのに有利になります。そして、何年も何十年もそのような関係を築いていき、その関係を壊すことを恐れて、報道できることが非常に限られてしまうことが多いのです。一度人間関係を壊したら、もう記事になる情報を手に入れることはできなくなるのですが、それは健全ではないと思います。どんな文明社会でも、どんなに民主主義が機能していたとしても、報道機関は自由に発信できなければいけません。報道機関は肯定的なものも否定的なものも自由に発信できなければならないのです。それが重要なポイントだと思います。
日本のジャーナリストは、ジャニー喜多川元社長の問題を報道しないという選択をした時、誰の利益のためにそうしたのかということを自問自答しなければならないと思います。本当に誰のためだったのか?その時の動機は何だったのか?もし彼らが被害者から連絡を受けていたり、噂を聞いていたりしたのに、その話を取り上げないことを選んだのなら、その動機は何だったのか?私は、今日、日本中の報道機関で、こうした疑問が投げかけられ、その文化に変化が起きることを心から願っています。
――ジャニー喜多川元社長の問題を取材した記者として、日本のメディアに対してメッセージがあれば教えてください。
日本のメディアに言いたいのは、私は日本そのものをとても尊敬し、愛しているということです。日本のマスコミ、そして日本のマスコミの同僚たち、私はあなた方一人ひとりに、あえて「困難な会話」をするように訴えたいです。私たちは皆、同僚や上司を持ち、「これは重要な記事だ」と声をあげることはとても難しいことだと知っています。
しかし、これは重要な話で、それが社会を前進させる方法なのです。そうやって社会を変えていく必要があります。だから私は、日本の報道関係者に、どうかそうした「困難な会話」をしてほしい、そして本当に難しい、不可能に思えるような問題を報道してほしいと心から訴えたいです。そのような記事こそ、あなた方が時間を費やし、仕事に打ち込むべきものなのです。