中国“ゼロコロナの壁”崩壊…2023年も続く“副作用” 「感染拡大は自由の代償」中国人の本音は
世界で初めて新型コロナウイルスの感染者が確認されてから、およそ3年。中国の人々を呪縛しつづけた“ゼロコロナ政策”に終止符が打たれようとしている。年末年始の中国で猛威を振るう感染の拡大。その先に、ポストコロナの中国の姿が見え始めた。
(NNN中国総局 森葉月)
■“ゼロコロナ”の出口は一体…
中国の街中の至る所で見かける、防護服姿の作業員。人々は皮肉を込めて「大白(ダーバイ)」と呼ぶ。言葉遊びのセンスが光る中国の人々が、ゼロコロナへの不満を込めて口にした言葉だ。ディズニー映画「ベイマックス」の姿と防護服作業員の姿が似ていることから出てきた呼び名で、コロナ社会を表す象徴の1つになった。
湖北省・武漢で世界で初めてとなる感染者が確認された新型コロナウイルス。中国政府はこの3年、各国に比べて格段に感染者を抑え込んだと誇示してきた。その一方、市民生活に多大な犠牲を強いる「ゼロコロナ政策」を続けた。
私が赴任した2022年夏、ゼロコロナの出口はどこまで続くのか見えない時期だった。当時、入国の際には、まだ地方都市で14日間の隔離を余儀なくされていた。
赴任直前、日本に住む中国人の友人は私に「盲盒(マンフー)だよ」と教えてくれた。中に何が入っているか分からないカプセルおもちゃを意味する言葉で、隔離施設の当たり外れの落差がすごいという実態を示す例えだった。
この言葉は赴任後の“ゼロコロナ生活”そのものにもぴったりくる言葉だったと、今になって思う。
■異変~噴き出し始めた“ゼロコロナ”への不満~
「何かが変」と感じ始めたのは、10月の党大会の前後だった。9月には貴州省の高速道路で大型バスが横転し、27人が死亡。隔離施設に市民を収容する移動中の事故だった。
同じ月に四川省で起きた地震でも、助けを求める人が多くいたにもかかわらず、現場におもむく救助隊員に連日、PCR検査を義務化していたことが判明した。
SNSには「ゼロコロナ政策と人命、どちらが大事なのか」との批判が相次いでみられるようになった。
「コロナ感染より、ゼロコロナで死ぬのが怖い」
中国人の知人からはこうした声がしばしば聞かれるようになった。しかし、習近平指導部は依然としてゼロコロナ政策を堅持する方針を繰り返し表明していた。
そんな中、北京の橋に1枚の横断幕が掲げられた。「PCRはいらない」「封鎖はいらない、自由がほしい」などのメッセージが書かれていたのだが、言論統制が厳しい中国では異例の事態に激震が走った。
印象的だったのが、「信じられない」という声も聞こえる一方で、「勇気をたたえる」「私たちのヒーローだ」などと声援も多かったことだ。ゼロコロナ政策の風向きが変わるのではないか――そう思った瞬間だった。
■徹底 ~1%でも陽性疑いなら“排除”~
11月、党大会が終わって北京に感染再拡大の足音が聞こえ始めると、ジェットコースターのような日々が始まる。ここからのひと月、「濃厚接触者の濃厚接触者と認定され自宅に隔離1週間」「感染した可能性がある人と同じビルにいただけで、建物に閉じ込め7時間」など、厳しい規制を自ら次々と経験することになる。
「次密接」。この中国語を最初に聞いた時に意味がわからなかったが、「濃厚接触者の濃厚接触者」という意味で、支局のスタッフが住むマンションで陽性者が確認された後、同じタイミングで出勤していた私を含む同僚たちは全員、この「次密接」に認定。私自身も自宅で1週間の隔離生活に入る。
自宅に家族がいる同僚は、「濃厚接触者の濃厚接触者の濃厚接触者の扱いはどうなるんだろう」としきりに当局に問い合わせしていたが、結局、家族もろとも自宅隔離になってしまった。
その後に覚えた言葉が「10混1」。ゼロコロナ政策を支えた中国独自の方式を示す言葉で、自治体に住む全員を検査するなど大規模なPCR検査を行う際に、検査費用を節約するため、10人分の検体を1つの試験管にまとめて検査に出すもの。
しかし感染拡大が進むと、これが両刃(もろは)の剣となり始める。北京市内でもあちこちで「10混1」に認定される人が出始めたのだ。実際の感染者は10人のうちの1人だけの可能性もあるが、陰性が確認されるまでは感染した人と同様に隔離され、行動歴を追跡調査される対象になる。
10月下旬、私の勤務する建物でも「10混1」が確認されると、すぐに建物が閉鎖された。知らせを聞いてからわずか10分、逃げる余地もなく、私も7時間、オフィスに閉じ込められた。隔離、解放、隔離…その間隔はどんどん短くなっていき、11月中の隔離や封鎖経験は3回にのぼった。
■爆発 ~“ゼロコロナ”に生きる若者が行動に~
この間、ゼロコロナに押しつぶされそうな人たちの悲鳴を何度も聞いた。特に深刻だったのは、職が見つけられない若者たちだった。コロナの影響で経済が失速したことで、就職率は悪化した。
私が話を聞いた大学を卒業したての男性は、就職活動がうまくいかず、100社以上の採用試験を受けるも今も内定が得られていない。「コロナに感染するよりも、食べ物も仕事もなくて死ぬことが怖い」と語ってくれた彼のこの一言に、コロナ禍を生きる若者の不満が詰まっていると感じた。
地下鉄や飲食店に入るのにすら、まとわりつく陰性証明の提示に、窒息感を募らせたのも無理はない。“ゼロコロナの壁”が立ちはだかり、3年にもわたりキャンパスライフを謳歌(おうか)できていない学生も多い。
11月下旬になると、各地で四つんばいになって地面にはいつくばる学生や、段ボールでつくられた犬を散歩させる学生の姿も見られ始めた。なんとも不可解な行動だが、学生らは「私たちだって買い物や映画に行ければ、こんなことはしない」と話した。大学の寮から自由に外出ができない学生らがゼロコロナ政策への不満を込めて、とった行動だったのだ。
そして11月27日午後10時、中国全土で行われていたゼロコロナへの抗議デモが、ついに北京に波及。現場に急行したが「ここが首都・北京なのか」とおもわず目を疑った。大使館なども立ち並ぶ北京の繁華街で、若者らが白紙を掲げゼロコロナ対策に反対の意を示していた。中国の将来を担う若者の不満の塊が噴出していた。
習指導部発足以降、北京でここまで本格的な政権批判が行われたのは初めてとも言える。現場にいた若者は「みんなでやれば怖くない」「もう我慢はできない、今しかない」と声をからしていた。
これらの若者たちの声が引き金にもなり、12月7日、中国政府はゼロコロナ政策の大幅緩和に踏み切った。
■ゼロコロナの壁崩壊 「自由の代償」の行く先は
“ゼロコロナ”の壁が崩壊して、まもなく1か月。師走の首都・北京では人出は徐々に戻るも、医療体制はひっ迫している。アメリカの研究機関の予測では、中国のコロナによる死者が来年、100万人を超える恐れもあると言われている。
厳しすぎる政策で国民を締めつけたかと思いきや、突然に与えられた自由な生活。政策1つで国民の気持ちをもてあそぶかのように感じ、まるでジェットコースターに乗せられているような気分だ。
中国の知人女性の1人が、感染急拡大の最中にこんなメッセージをくれた。
「世界は3年目のコロナだが、中国はまるで今、始まったようだ。最初にコロナが見つかった国なのに…」
この言葉に、ゼロコロナ政策がいかに国民の心をむしばんでいたのかと感じた。
一方、ゼロコロナの緩和とともに街を歩き始めた人々にインタビューすると、「感染は大変だが、治せば済むこと」「感染拡大は自由の代償」…こんな声も聞かれた。
中国に赴任直後、この国で生まれ育った人が口にした話を今でも覚えている。
「中国に“現状維持”という言葉は存在しない」
経済、技術、科学などあらゆる分野における「発展」のスピードはすさまじい。同様に、衰退するときも急速だという。このゼロコロナ政策をめぐる3年の動きも同じではないか。
ゼロコロナによる鎖国を続けた中国は「14億人の無菌室」とも指摘されている。この3年、世界が“ウィズコロナ”へ舵(かじ)を切っていくなかで、かたくなに“ゼロコロナ”を堅持した習政権は、今、諸外国から周回遅れでコロナと共存していくことを決めた。
経済への回復を急務にしているが、“ゼロコロナの壁”が崩壊した副作用は、2023年も続きそうだ。