太平洋戦争中のアメリカ、日系人を強制収容…戦争の悲劇語り継ぐ“日系人サカイさん”AIと対話
アメリカでは太平洋戦争中、敵国だという理由で、およそ12万人の日本人や日系人が収容所に連行されました。日系2世が語った、過酷な収容生活とは。
アメリカ西部・コロラド州。乾燥地帯の草原にあったのが、東京ドーム55個分の広さに及ぶアマチ収容所。かつて7000人以上が強制収容された場所です。
太平洋戦争のきっかけとなった真珠湾攻撃後、アメリカでは日本人の血を引いた人間は「敵性外国人」とみなされ、およそ12万人の日系人が収容所に連行されました。
日系2世のロバート・フチガミさん(94)。12歳の時、農園を営む家族とともに突然、移動を命じられました。
ロバート・フチガミさん「持って行ける荷物は2つだけだと言われました。連れて行かれたのは、とても信じがたい場所でした」
待ち受けていたのが、アマチ収容所でした。跡地には戦後79年たった今も生活の痕跡が…。
記者「食堂があった場所です。当時、使われていたと思われる缶が今も残されています」
木造平屋建てのバラックでの共同生活。10人家族のフチガミさん一家にあてがわれたのは、わずか2部屋。夏は砂嵐、冬は氷点下に冷え込む、過酷な環境だったといいます。
ロバート・フチガミさん「プライバシーは、ありませんでした。1945年まで収容所を出ることはできず、その間に私は全てを失いました」
常に監視され、日系人というだけで差別的な扱いも。
ロバート・フチガミさん「私はもう94歳です。起きたことを人々に伝えて、状況を変えていくのです」
収容所近くの記念館では、当時の日系人の暮らしぶりを展示で伝えています。
記念館を維持・管理するジョン・ホッパーさん「(日系人強制収容については)アメリカでは、あまり教えられていません。展示を通して伝えることで、このようなことが二度と起きないことを願います」
当時の体験を語る人が減る中、新たな取り組みも。
記者「写真が並べられていて、自宅と同じような状況を再現しているということです。そして、この場所に座られているのが、ローソン・サカイさんです」
戦時中、アメリカ軍に所属し、日本と戦った日系人のサカイさん。証言を動画に残した後、亡くなりましたが、人工知能(=AI)により、サカイさんと「対話」ができるのです。
博物館に来た人「なぜ自分たちを憎む人(アメリカ人)のために戦ったのですか?」
AIローソン・サカイさん「アメリカで暮らし続けるため、アメリカのために戦ったのです」
日系2世博物館に来た人「胸が締め付けられます。それまで彼に与えられていたのは、憎しみだけだったのだから」
悲劇を繰り返さないため、未来に体験を語り継ぐ取り組みが続きます。