夫の休みは3ヶ月で2日…部活動顧問の妻の苦悩「夫はいないのと一緒」
小学2年生の子どもと夫との3人で、岐阜県で暮らす稲垣由利さん(仮名)は、妊娠9ヶ月だった去年6月、大きな悩みを抱えていた。
“夫の仕事が忙しすぎる”ことだ。
夫の職業は、高校教員。
クラス担任のほか、強豪と言われる部活動の顧問を務めている。
部活動は、週6日。土日はどちらも1日中練習なのだという。
練習のある平日の帰宅時間は午後8時ごろで、午後9時を子どもの就寝時間と定めているため子どもの世話をすることはほとんどできない。起きている子どもに会えない日もあるくらいだ。去年4月~6月の約3ヶ月で、休みはたったの2日だった。
そのため、由利さんは大きなお腹にもかかわらず、片道約40分を自分で運転して妊婦健診へ通った。料理や掃除などの家事はもちろん、買い物も1人で行くしかない。2リットルペットボトルの水が6本入った段ボールを1人で運んだこともあった。
小学2年生の子どもの宿題を見たり、時には遊び相手になったりするのも、いつも由利さん。通学班の見守り当番もあるが、もちろん夫には頼れない。大きなお腹をかかえ、1週間通学路に立ったという。
由利さんは、「家のことをすべて一人でやらないといけないことが大変です。全てですよ?子どものことも、家事もすべて」と話す。
由利さんの夫は、部活動指導を「やりたい」と希望していて、精力的に指導に当たっているという。家庭の時間が少ないことについて何度か夫婦で話し合ったが、“仕事優先”の姿勢は揺るがなかった。一方で、まったく家庭を顧みない夫ではない。由利さんの願いを知っているからこそ、日々できるだけ早く帰る努力をし、家にいる時には洗濯などの家事を率先してこなしているという。育児や第二子の出産においては学校側へ業務量や勤務時間などの配慮を求めたこともあったという。その希望が叶えられることはなかったが。
「ごく“普通に”一緒に夜ご飯を食べるとか。土日のどっちかは子どもとお出かけするとか。もうちょっと普通に家庭生活を送れるようにならないかなって…。せめて新生児期だけでも」由利さんはため息混じりにそう話した。
教育関係者の間で広がった“部活未亡人”、今なお好転しない3つの理由
今回の女性のようなケースは、まさに「部活未亡人」であると名古屋大学で教育学を研究する内田良教授は指摘する。※差別的な表現を含む言葉であるが、ここではあえてそのまま使わせていただきたい。
「部活未亡人」とは、夫である教員が部活動指導に多くの時間を使うことで、夫がいなくなったような状態に陥った妻を示す言葉だ。大きすぎる部活動指導の負担のしわ寄せが家庭に及ぶことを問題視するために使われてきた言葉で、内田教授によると、少なくとも1990年代には存在していたという。
長きに渡り問題視されてきている一方で、由利さんのように苦しむ家族が後を絶たないのはなぜだろうか。
その原因として、内田教授は、
①部活動が勤務という枠組みではなく「自主的な活動」とされていること
②法律により教員には残業代が支払われない仕組みとなっていること
③時間やコストへの意識が低い“聖職者”教員の文化
以上の3点を指摘している。
内田教授が挙げた3点について、詳しく解説する。
①部活動は「自主的な活動」
文科省によると、部活動は教育の一環とされつつも「生徒の自主的、自発的な参加により行われるもの」と定められている。これは生徒に限った話ではなく、教員にとっての部活動も「自主的な活動」なので、一般的な「労働時間」に換算されるものではない。そのため、拘束力をもった制度や上限規定が設定されておらず、長時間労働の実態があったとしても、大きな問題として上がってこなかった側面があるという。
②教員には“残業代”が存在しない
教員の労働条件や給料は、給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)と呼ばれる法律で定められている。給特法によると、教育職員は、原則的に時間外勤務手当や休日勤務を支給されない代わりに、給料の月額の4%に相当する額を「教職調整額」として支給するとされている。つまり、平日に定時を超えて部活動指導してもいわゆる残業代は1円も支払われない。土日の指導には、4時間以上で3000円の部活動手当が支払われるが、最低賃金以下の水準だ。
コストのかからないものに規制はされづらい。民間企業であれば従業員の残業時間が長くなればなるほど人件費がかさむため、残業時間を減らすための業務改善などが積極的に行われるが、教員の場合はそうした抑止力が働かないのである。
③多くの教員にとって理想とされる“聖職者”としての教員像
こうした制度上の課題があるのであれば、「部活動指導をしなければいいのでは」と言いたくなる人もいるだろう。由利さんの夫のように、すすんで部活動指導を引き受ける教員ばかりではなく、2022年に栃木県が県内の中学校教員らに行った調査では、85%を超える教員が部活動負担について「大きい」と感じていると回答している。
それでも、多くの教員が部活動指導に従事する理由の一つとして、内田教授は、伝統的に作り上げられてきた教員像を指摘する。
「お金や時間に関係なく子どものために働いてなんぼという、“聖職者”としての教員文化がずっとあるんです」
目の前に部活動に参加したいと希望する生徒が存在し、他の教員がそれぞれ別の部活動の顧問に従事しているなかで、自分の時間が減るからという理由で顧問を拒否できる教員など、ほとんど存在しないのだ。
そして、長時間労働でどんなに疲れていたとしても、家庭での時間が作れず心苦しい思いを抱えていたとしても、それを生徒や保護者の前でさらけ出すことは決してない。なぜなら、それが教員のあるべき姿だと、教育上必要なことだと、他ならぬ教員自身が信じているからだ。
だからこそ、国や各地の教育委員会が制度として教員の働き方を整えることが必要だ。現在、国は、教員をとりまく環境整備に向けて、部活動支援員をはじめとする支援スタッフの拡充を促していて、部活動の地域移行を進める自治体も広がっている。
そして、こうした動きを加速させるには、家庭や保護者の理解が必要になってくる。学校の先生は決して“聖職者”ではない。少しばかり特殊で代わりのきかない仕事に従事する“労働者”であり、子どもがいる場合には“保護者”なのだ。
平日5日間働いたら、土日は体を休めたり趣味を満喫したりすることは全く悪いことではないし、子どもと休日に出かける時間は確保していいはずだ。
教員の夫をもつ由利さんは、こうも言っていた。
「部活動が全くの悪だとかそういうわけじゃなくて。夫はいきいきしているし、こんなにひどい状況じゃなければ部活動顧問に熱を注ぐのは構わないと思っています。だけど、限度があるでしょう」
「部活動の生徒たちからみれば熱心でいい先生なんだろうけど、私から見たら夫はいないのと一緒。子どもにとっても決していいパパとは言えないですよね」
もうすぐ10ヶ月になる赤ちゃんと4人暮らし。夫の働き方に不満を抱きつつも、由利さんは日々仕事に取り組む夫の体にも心配を寄せている。子供もまだ小さい。夫には健康な体で長く元気に過ごしてほしい。健康面も含めて、“せめて月に2日休みをとってほしい”というのが、彼女のいまの切なる願いだ。
教員自身だけでなく教員の家庭にも影を落とす教員を“働かせてしまう”制度。抜本的な改革はいつになるのだろうか―。