盟友 亀井静香が語る「石原慎太郎」の生き方
2022年2月1日に89歳で生涯を閉じた石原慎太郎さん。2月2日放送の「深層NEWS」では、政治家・石原慎太郎さんの盟友で元金融担当大臣の亀井静香さんと、読売新聞特別編集委員の橋本五郎さんをゲストに、石原慎太郎さんの生き方を振り返りました。
■「バカ野郎 早く死にやがって」
右松健太キャスター
「亀井さんは、きのう(2月1日)石原さんの自宅に弔問に駆けつけたと。どんな言葉をかけた?」
亀井静香元金融担当相
「『バカ野郎!』と言いました。『早く死にやがって』と。彼とはいろんなことを『やろう、やろう』って約束しておった仲ですからね。残念です」
右松キャスター
「石原さんと生前、最後にお会いになったのは?」
亀井氏
「12月ですね。(12月)半ばかな」
「40~50分、話をしましたけどね。『いま、日本は外交・内政ともなってない』と。そういう話しましたね。『岸田総理も一生懸命やっておることはわかるけど』『そんな状況じゃダメだ。雲の下は大嵐だと。そうだよな、亀ちゃん。これじゃあ日本困る』と彼はさかんに心配をしていました」
右松キャスター
「橋本さん。昨日の訃報に接してどのような気持ちが巡っている?」
読売新聞 橋本五郎・特別編集委員
「福沢諭吉の言葉の中に『一身にして二生を経るが如し』という言葉がある。1人の人間が2つの時代に生きたという生涯を送ったという。私に言わせれば石原さんは3つの生涯を送ったみたいな感じ。それは小説家として、国会議員として、都知事として。私は、(石原)裕次郎さんの歌に「我が人生に悔いなし」がある。(石原慎太郎さん)ご本人はそう思ってるんじゃないかなと。そういう人生だったと思う」
■「当時の石原は輝いていた」
右松キャスター
「石原さんは若くして青嵐会結成という一つの大きな新風を巻き起こした。当時の自民党内の保守政治家としての存在感をいま評価すると?」
橋本氏
「存在感ありましたよ。その後ずっと行動を見てみると、一貫してるものがあったと。それは戦後の日本のあり方。本当に独立国といえるのかと。例えば横田に(米軍)基地がある。独立国の首都に外国の軍隊がいるなんていうのは、これは占領下みたいな話ですから。そういうことに対して異議を申し立てた。それはいろんな場面で出てきます。自主憲法制定もそう。さらに言えば、戦後民主主義のあり様に対して、強い異議申し立ての行動、その点では賛否はあれ、一貫していた」
右松キャスター
「1989年の自民党総裁選で石原さんは立候補に必要な推薦人集めに非常に苦心したと。亀井さんが奔走し20人を集めて、石原さんは出馬にこぎ着けた。当時なぜ亀井さんは石原さんを担いで総理にしたいと思った?」
亀井氏
「これは当たり前だよ。石原しかいないからだ。もう、当時の石原は輝いてたね。通るか通らんが(総裁選の当落は)関係ないんだから。もう、まっしぐらに『日本はこの俺がちゃんとやるぞ』と、その一念だけでまっすぐデーッと出馬した。」
■「石原はシャイな人だった」
右松キャスター
「読売新聞が2005年(4月)に行った世論調査で、総理に最もふさわしい政治家として1位に選ばれていたのが当時の石原都知事31%。2番手に当時幹事長代理だった安倍元総理。3番手に小泉総理という順番だった。現職を差し置いて総理候補に名前が上がる、当時の時代背景は?」
橋本氏
「『決断できる政治』っていうか、それはもちろん、裕次郎の兄さんでもあるし、芥川賞作家で作家としても経歴は輝かしいものがあるというのは当然あったでしょうけど、やはり何か『決断できる政治』が行われるのではないかっていうのは国民の期待の中にあったんじゃないでしょうか」
亀井氏
「決して、石原さんというのは我々仲間の中でも、独断的に物を言って引っ張ってくる人じゃなかったですよ。我々の話をよく聞きました。ある意味ではシャイな人ですよ。自分の方からバンバン言うよりも、俺とか平沼(赳夫)とかね園田(博之)とか我々の意見もよく聞いてましたね。それで『よし、自分が先頭に立ってやろう』ということだと。まあそういう意味では理想的な指導者でしょうね。だから彼が総理になっていると日本は変わったな」
■石原氏のリーダーシップ
右松キャスター
「新型コロナウイルス感染拡大によって、国と地方のあり方ということもこの2年間、さまざまな場面で問われてきた。石原さんといえば強いメッセージ性と実際に動かす行動力かと」
橋本氏
「コロナ対策を見てると、本当にみんな、自分の責任を問われたくないっていう姿が見えるんですよ。それは中央も、それから地方も。それをそうではなくて、むしろ自分が率先してやるって姿勢を見せれば、これは、かなり変わってくるような気がするんです。そこからもやはり石原さんから学ぶべきものがあると思います」
飯塚恵子コメンテーター(読売新聞編集委員)
「まさに都知事時代の口癖だった『東京から日本を変える』ということをそのままやっていた。石原知事が動くと、国が動かざるをえなくなる。一連のコロナ対応で、小池知事が緊急事態宣言を出して、と陳情して政府を動かすのとも少し違う。
石原さんが東京都知事としてやったのは、国家や政治の『制度』や『仕組み』を変えること。尖閣も、東京マラソンも、ディーゼル車の排ガス規制も。
尖閣諸島購入の話は、ちょうど10年前の4月の話。ワシントン訪問中に発表して米国人までビックリさせ、国際的な注目も浴びた。
舞台設定まで自分で考えてマックスの存在感を示していた。根本的に仕組みを変えるアイディアはユニークだったが突飛なものが多かった。失敗する恐れもあったが、『最後は俺が一人で責任取る』という腹が据わっていたからこそできたのだと思う」
橋本氏
「伝統的な政治家らしくないというか、作家の感性みたいなもの。要するに何か多数派で何かを調整しながらやっていくということよりも、やはり『これが正しい』と思うとそれ堂々と打ち出していくっていうタイプの政治主導だったと思います。それは東京都知事っていうことで発揮されたと思います。なかなか、中央政界では厄介だと思いますよ。」
■自主憲法制定に強い思い
右松キャスター
「石原さんといえば自主憲法制定を強く訴えて、政界を引退したときにも、これが叶わなかったことを心残りとしていた。憲法の中身以上に、日本人の手で変えなければならないという精神の独立性や自立性が背骨にあったような気がする」
橋本氏
「凄く気持ちはわかるんです。ただ、やはり具体的に国民にそれを訴えていく場合には、やはり何が問題なのかっていうことの具体性がないと。『占領下で(憲法が)できたんだから』というだけだと、何十年も憲法の下で育ってきた人へどうやって説得するか、理解してもらうかってことも私は大事だったと(思う)」
■日本にとって石原慎太郎とは
右松キャスター
「日本にとって石原慎太郎さんとはどういう存在だった?」
亀井氏
「まあ、当代の最高の文化人だね。政治家はその一部。まあ、太陽は沈んだけど、また陽は昇る。石原の持っている、いま日本で失せていこうとしてる感性・美意識、そういうものはまた蘇ってくるんじゃないかな」
橋本氏
「自分の責任で決断を持って政治をやるというのが一つ。それから日本の歴史に対して愛おしみと敬意を持ってこれから我々はどうやって国を自分を守るかということを、考えさせてくれるっていう感じがしましたね」
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