ゼレンスキー大統領“電撃来日”実現の裏側 19日案検討も…最終日になった理由は? 「手段」確保が…解決はサミット開始「後」
G7広島サミットにあわせ、電撃来日したウクライナのゼレンスキー大統領。その裏側が取材でわかってきました。江口友起記者が報告します。
■ゼレンスキー大統領の参加 最終日になった理由は?
複数の政府関係者によりますと、はじめはサミット初日の19日に参加する案も検討されたということです。しかし、岸田総理や周辺から「サミットがゼレンスキー大統領一色になってしまう」との懸念が出て、最終日の21日になったというのです。
19日は、歴史上、初となるG7首脳による原爆資料館の訪問。2日目の20日はインドなどグローバルサウスをめぐる協議があり、岸田総理は重要イベントと位置づけていました。仮に19日に参加した場合、岸田総理らは「サミットがゼレンスキー大統領一色になってしまう」と考え、これを避けるため21日になったというのです。
■来日実現“決め手”はフランス…解決はサミットのスタート後
もう1つ。来日実現の決め手は、フランス政府の専用機が確保できたことでした。
大統領が来日の意向を示しながら、その「手段」が確保できていませんでした。解決したのはサミットがスタートした「後」。ギリギリの調整でフランスの協力が決まり、来日が固まったといいます。
■岸田総理、3つの目的の実現
ゼレンスキー大統領の参加を最終日とすることで、岸田総理としては、
・核なき世界にむけたメッセージ
・グローバルサウスとの関係強化
そして、
・ウクライナとの結束を呼びかける
という3つの目的の実現を果たした形になりました。