両陛下イギリス訪問へ 3代の天皇と英王室の深い交流【皇室a Moment】
天皇皇后両陛下が今月22日からイギリスを公式訪問されます。日本とイギリスの交流は400年の歴史があり、昭和、平成、令和と3代の天皇は若き日のイギリス訪問や留学で“世界の窓”が開かれました。日本テレビ客員解説員の井上茂男さんと振り返ります。
■“浩宮の季節” 前例のない関西での出迎え
――1つの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。きょうの瞬間はこちらです。
この時、浩宮時代の26歳の天皇陛下は、大阪の伊丹空港に2人を出迎え、京都の修学院離宮を案内されました。大阪で出迎え、京都を案内する――。当然の歓迎のようですが、前例はなく、宮内庁は地方への出迎えに消極的でした。
ちなみに、京都でのダイアナ元妃は赤い水玉のワンピースですが、陛下に「今日の服は日の丸のデザイン」と、茶目っ気たっぷりに話したそうです。
――モダンなデザインですてきですよね。天皇陛下もイギリス滞在の深い思いがあったということなんですね。そのチャールズ皇太子が国王となったイギリスを両陛下はいよいよ22日から訪問されるのですね。
そうです。エリザベス女王から“即位後最初の訪問国”として招待され、コロナで延期される中で女王が亡くなって葬儀に駆け付け、当初の予定から4年を経て実現する親善訪問です。チャールズ国王は陛下の12歳年上。交友は実に40年になります。平成の30年間、互いに皇太子として親交を深めてきた国王に迎えられます。
――きょうは、両陛下のイギリス訪問を前に、イギリス王室と日本の皇室との関わりにスポットを当てます。
■昭和・平成・令和――イギリスで開かれた“世界の窓”
まずは、こちらの表をご覧ください。
天皇陛下のイギリス留学は、前の回で取り上げましたが、陛下の祖父の昭和天皇も、父の上皇さまも、若き日のイギリスへの旅から“世界の窓”が開かれました。
――3代にわたって若い時からイギリスに渡られているんですね。
昭和天皇は、1921(大正10)年、19歳から20歳にかけて、軍艦2隻で半年にわたる旅に出て、エリザベス女王の祖父・ジョージ5世国王と交流しています。国王は35歳離れた昭和天皇に“親子の愛情”を持って接し、昭和天皇は国王からイギリスの立憲政治のあり方を学んで、立憲君主はどうあるべきかを考えてきたと語っています。
上皇さまは、戦後「講和条約」が発効して日本が国際復帰した翌年の1953(昭和28)年、19歳の時に、エリザベス女王の戴冠式出席のためイギリスを訪問されました。留学に代わる半年間の欧米旅行でした。
今の天皇陛下は、23歳だった1983(昭和58)年から2年にわたってイギリスに留学。女王からお茶に招かれて時間を共にするなど、その姿を間近にご覧になってきました。
昭和、平成、令和の3代の天皇は、イギリスを通して「君主」のあり方を学ばれたと言えます。
――そう考えると、イギリスは日本の皇室を語る上でも重要な国だと言えそうですね。
両陛下はいよいよイギリスを公式訪問されますが、昭和天皇、上皇さまはイギリスを公式に訪問されたことはあるのでしょうか?
はい。昭和天皇の訪問は1971(昭和46)年、天皇初の外国訪問でした。それまで法律がなく、天皇が日本から出ることが出来なかったんですね。この旅は、イギリスだけでなくヨーロッパ各国を回る18日間の長い旅でした。
終戦から26年が経っていましたが、日本と直接に戦火を交え、多くの兵士が捕虜となったイギリスやオランダなどは日本に対する視線は厳しく、オランダでは昭和天皇の乗った車に魔法瓶が投げられ、イギリスでは昭和天皇が記念植樹したスギが切り倒され、劇薬がかけられる事件も起きました。
――今の映像でも馬車列に人が近づいてきて何かを投げる様子が見られました。
まだまだ日本への目が厳しい時代でした。
平成の天皇だった上皇さまが「国賓」として訪問されたのは1998(平成10)年です。バッキンガム宮殿まで馬車でパレードされるなど、驚くほど華やかで、盛大な歓迎でした。
――本当に多くの近衛兵と立派な馬車でパレードされて、沿道の方々も手を振って見ていますよね。
はい。昭和天皇の時もそうでしたが、近衛兵が先導する馬車列が組まれ、上皇さまの乗られる馬車にはエリザベス女王が、上皇后さまの馬車には夫のフィリップ殿下が乗っています。
一方で、戦後50年以上が経っていても、戦争のわだかまりはまだ残っていました。馬車パレードは華やかに進みましたが、沿道では日本軍の捕虜になった人たちが背を向けて並び、抗議の気持ちを表していました。
上皇さまは歓迎の晩餐会のスピーチで次のように話されています。
上皇さま:「両国の関係が,第二次世界大戦によって損なわれたことは誠に悲しむべきことでありました。この戦いにより,様々な形で苦難を経験した大勢の人々のあったことは,私どもにとっても忘れられない記憶となって,今日に至っております。戦争により人々の受けた傷を思う時,深い心の痛みを覚えますが,この度の訪問に当たっても,私どもはこうしたことを心にとどめ,滞在の日々を過ごしたいと思っています」
戦争の傷あとは両国に長く残ったわけですね。
■1600年に始まった交流 戦火を交えた歴史も…
ここであらためて日本とイギリスの交流の歴史を振り返ってみたいと思います。
日英の関係は、1600年、イギリス人ウィリアム・アダムス、のちの三浦按針が船で漂着し、徳川家康が江戸に招いて外交・貿易の顧問としたことに始まります。
1613年には国王ジェームス1世の親書が届き、日英の貿易が始まります。そして日本は鎖国の時代へと入り、関係は中断してしまいます。
江戸時代末期の1858年、「日英修好通商条約」が結ばれ、外交関係がスタートします。
明治維新の翌年の1869年にはヴィクトリア女王の二男アルフレッド王子が来日し、明治天皇は「国賓」のように迎えました。日本が外国の王室メンバーを迎えた最初です。
1902(明治35)年、日英同盟が結ばれ、日本は「第1次世界大戦」に参戦しますが、1937(昭和12)年からの日中戦争で関係は冷え込み、さらに1941(昭和16)年に太平洋戦争が始まると、日本とイギリスはアジアの各地で戦火を交え、多くの兵士が犠牲となり、捕虜となりました。
1952(昭和27)年、サンフランシスコ条約が発効し、日本は国際社会に復帰し、再び良好な関係を築いてきました。
――こうしてみると、交流の盛んな時期もあれば途絶えた時期もあって、関係のいい時代、悪い時代がありながらも、節目節目で深い交流をしてきたんだなと感じました。
2012(平成24)年5月、天皇、皇后だった上皇ご夫妻は、エリザベス女王の即位60周年を祝うためにイギリスを訪問されました。
この時、印象に強く残っているのが、上皇ご夫妻を迎える女王と夫のフィリップ殿下の何ともいえない柔らかな表情です。過去のいきさつを乗り越えて友情を育み、60年来の信頼を見るような表情です。
――皆さん穏やかな表情で友情という絆があるんですね。
■ガーター勲章が復活したアレキサンドラ王女の来日
――イギリス王室の方々は日本に来ているのでしょうか?
戦後、最初に来日したのは1961(昭和36)年のアレキサンドラ王女です。エリザベス女王の従姉妹です。当時の日本には「国賓」「公賓」の区分がなく、イギリスから最初に迎えた賓客を「国賓」として迎えました。
この王女を迎えた晩さん会で、昭和天皇はイギリスの最高位の勲章「ガーター勲章」をつけています。こちらが、その「ガーター勲章」です。
写真は上皇さまが1998年に贈られたものですが、昭和天皇にも戦前、ジョージ5世国王から贈られていました。しかし第2次世界大戦が始まると、イギリスの受章者名簿から削除されました。それが復活したのが1961年の王女の来日だったわけです。
今回の訪問でも勲章の交換が行われ、チャールズ国王から陛下に「ガーター勲章」が贈られると思います。
――その瞬間も楽しみにしたいですね。
特別な瞬間になるでしょうね。
■11万人が沿道で歓迎 エリザベス女王
――エリザベス女王は来日したことはあるんでしょうか?
エリザベス女王も、1975(昭和50)年5月、夫のフィリップ殿下と一緒に来日しました。滞在は京都や伊勢も含めて5泊6日。東京では1.9キロをオープンカーでパレードし、沿道で11万人が熱狂的に迎えました。女王の来日はこの1度だけです。
この時、一行は日本が誇る新幹線にも乗っています。今では考えにくいですが、来日中、春闘の交通ゼネストで鉄道網が麻痺し、一行は東海道新幹線での関西入りをあきらめ、飛行機で大阪入りしました。新幹線に乗ったのは帰りの名古屋~東京間です。その裏には「日本の国内問題である労働争議に外国が影響を与えてはならない」という、女王の考えがありました。
思い出されるのは、幼い紀宮さま、黒田清子さんのかわいらしい様子です。皇太子時代の上皇ご夫妻は女王を東宮御所に招き、庭を案内されました。この時、清子さんは庭の花を摘み、膝を折る「カーテシー」というプロトコール通りの挨拶をして、女王に花を贈りました。
――駆け寄って花をすっと渡される姿がかわいらしかったですね。
とてもいい場面ですね。
――女王は1度だけの来日だったんですね。
■“アイドル”のような熱気 “ダイアナフィーバー”
はい。一方でチャールズ国王は皇太子として5回来日しています。
冒頭で紹介したダイアナ妃との来日では、大変な“ダイアナ・フィーバー”が起きました。夫妻は東京の青山1丁目から元赤坂の迎賓館までの2・3キロをオープンカーでパレードしました。沿道で9万2000人が歓迎し、大変な熱気に包まれました。
――すごい熱狂ぶりですよね。まるでアイドルに手を振るかのように、皆さん本当に笑顔で手を振っていますね。
「キャーキャー」という声もすごいですね;
――すごいフィーバーを感じます。
本当にその通りです。これほどまで熱狂的に迎えられた外国の賓客は、後にも先にもいらっしゃらないんじゃないかと思います。
こちらはイギリス留学中、陛下がフィリップ殿下とスコットランドの野生保護区を訪ねられた時の映像です。陛下はイギリス王室の一員のように迎えられました。チャールズ・ダイアナ夫妻とは、オペラ鑑賞やバーベキュー、サケ釣りを一緒に楽しみ、帰国前にはお別れの夕食会も開いてもらっています。
陛下の著書『テムズとともに』という本には英語版もありますが、皇太子時代のチャールズ国王が一文を寄せていますし、次にご紹介する「阿波踊り」のシーンをみると仲の良さがうかがえます。
――「阿波踊り」ですか?
■阿波踊り――チャールズ国王陛下の飛び入り
はい。こちらをご覧ください。なかなかの手つきですよね。
――お上手ですよね。
2001(平成13)年5月、イギリスで開催された日本紹介のイベントです。お2人は名誉総裁として出席されました。参加者に声をかけているうちにお囃子が始まり、ウチワを渡されたチャールズ国王が飛び入りし、陛下も追うように踊り始められました。陛下がすぐ続いたところに、“お二人の近しさ”“友情”が伝わってきます。
――これはかなり貴重な映像なのではないでしょうか?お二人とも楽しそうですね。
陛下にとって12歳年上のチャールズ国王は“兄”のような存在です。過去5回の来日では、平成と令和、2つの即位礼にも出席しています。
国王が、2008(平成20)年10月、カミラ王妃と来日し、慶応大学を訪ねて若い人たちと交流した時は私も現場で取材しましたが、学生たちに「study hard――しっかり勉強を」と気さくに声をかけていたことを思い出します。
――こうしてみると、チャールズ国王の気さくなお人柄もわかりましたし、陛下とは本当に親しいことがよく分かりました。
昭和天皇の訪問の時も、平成の天皇だった上皇さまの訪問の時も、先の大戦が色濃く影を落としていましたが、今回の訪問は、戦後80年が近づく中、“新しい友好のスタート”になると思います。
エリザベス女王の葬儀の時の写真を見ると、お二人ががっちりと、力を込めて握手されています。そこに40年来の交友、信頼関係がのぞいていると思うんですね。
■両陛下の“思い出の地”お二人で初めての親善訪問
天皇陛下はイギリスを「第2の故郷」とも言われます。400年の交流の上に、陛下が皇后さまとどのような友好親善を築かれるか、とても注目しています。
――天皇陛下と皇后さまがお二人でイギリスを国際親善訪問されるのは初めてということなんですよね。
そうですね。前回葬儀はありましたけれど、親善訪問という意味では今回が初めてとなります。
――お二人にとってもイギリスは思い出深い地だと聞いています。
天皇陛下の皇后さまもオックスフォードに留学されていますので。
――ですので、今回の訪問をとても楽しみにしております。
【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)