1Fリアル、あの日、福島第一原発は…
2011年3月11日。午後2時46分。
マグニチュード9.0の地震による大津波。福島第一原発は全ての電源を失った。
*当時の現場のやりとり
「本店!本店!大変です!大変です!爆発が今起こりました」
「現場の人は、退避、退避」
「いま、1時間以内に実現可能かどうか!評論家はいりません!」
「周りで我々見てるんだぜ!爆発したら、死んじゃうんだぜ」
高まる放射線。降り注ぐコンクリートの塊。死と隣り合わせだった、あの現場にいた人しか言えないことがあります。
冨岡豊彦さん(東京消防庁ハイパーレスキュー隊)「あの状況であのままだったら日本の国終わりですよね。たぶん」
佐藤智さん(元自衛官)「ドーンと、飛んできたんですよ、鉄骨が。皮膚が裂けたか何かで」
震災後10年で初めて明かされる、当事者たちだけが知る新事実。
証言「このままではヤバいというのと、もしかして死ぬのではないかという」
岩熊真司さん(元自衛官)「20ミリシーベルトを超えて、放射線の量は、相当、被ばくした状態になるので」
1号機・3号機の水素爆発の時に、真下にいた自衛隊隊員たち。
佐藤さん「何が爆発したのか、全然状況がわからないんですよ。自分たちしか現場にいないから、やるのは自分たちしかいないって気持ちがあって」
梅松悟さん(第一原発の技術者)「日本が沈むかっていうときに、線量高いからやめようなんてできないから」
爆発の恐怖と向き合いながら原子炉建屋の中に入り、電源を復旧させようとした技術士。
証言「ただ、怖いのと、ビビるのは違う」
東日本壊滅。当時の政府が想定した最悪のシナリオ。
*当時の現場のやりとり
「おーいった、ヨシ!」
「ダメだなーかかってねーよ」
「多分届いてねーや、何だよ!」
自衛隊のヘリによる上空からの放水作戦は失敗。最大の危機を救ったのは、東京消防庁ハイパーレスキュー隊だった。
冨岡さん「原発の敷地内の放射線量というのは、私の記憶だと『国家機密』といわれた。あの状況なのに」
暗闇、高線量の中で海にホースを出し、燃料プールへの放水を実現。
三縞圭さん(東京消防庁ハイパーレスキュー隊)「無線の交信がものすごい怒鳴り声が聞こえたから」
*当時の現場のやりとり
「マンホールこっち左側?」
「真ん中より左側」
その過酷な作業を、陰で支える家族たちがいた。
三縞さん「妊娠初期だったので、そこだけがネックではあったんですけど、看護師やっているんですけど、『行ってこい!』ってメールが返ってきた」
冨岡さん(当時の会見)「隊員は非常に士気が高いので、みんな一生懸命やってくれました。残された家族ですね、本当に申し訳ないと、この場でお詫びとお礼を申し上げたい」
10年後のいま初めて明かされる自衛隊による極秘作戦とは…
田浦正人さん(元陸上自衛隊陸将)「吉田所長から電話があって『来てくれと言われたらすぐ行く』と、吉田所長は『みんな他人事なんです、頑張れ頑張れっていうだけなんです。でも現場は、頑張れの限度を超えているんです。田浦さんたち自衛隊が、自分たちのことをここまで考えてくれていることが、うれしいんだ』ということで、ちょっと涙を流された」
あの日、日本を救うために命を賭した隊員たち。震災後10年で初めて明かされるこれまで語られてこなかった新事実ー。
2022年1月9日放送予定NNNドキュメント『1Fリアル、あの日、福島第一原発は…』(福島中央テレビ制作)を再編集しました。