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生きる力 ― 神戸児童連続殺傷事件から25年 途絶えた手紙 ―

2022年7月1日 19:09
生きる力 ― 神戸児童連続殺傷事件から25年 途絶えた手紙 ―
25年前、神戸市須磨区で起きた「神戸児童連続殺傷事件」。10歳の少女と11歳の男児が犠牲になった。自らを「酒鬼薔薇聖斗」と名乗った加害者は当時14歳。「少年A」の存在に社会は衝撃を受けた。

娘・彩花ちゃんを失った父・山下賢治さん(73)。自宅には今も娘が事件直前に書いた書き初め「生きる力」が掛けられている。事件後、カメラの取材は断ってきたが、「償い」をうやむやにしたくないと社会への発信を決めた。

 ◇◇◇

あの事件から25年。娘は生きる力を与え続けています。

山下賢治さん
「その桜は、1997年3月16日におきた『神戸児童連続殺傷事件』で、わずか10歳で命を閉じた私の娘・山下彩花をしのんで、植樹をしてくださいました。皆さんの中には気づいた人がいるかもしれませんが、実は“桜の木”の前のプレートには、彩花からのメッセージが刻まれています。『ずっとそばにいるよ、姿はみえなくても…彩花』と書かれています」

山下賢治さんは、娘・彩花ちゃんを亡くして25年になります。

山下賢治さん
「(病院で見た時)もう彩花の顔じゃなかったね…(涙)もう今でも…くっきり頭に…残っている。思い出すとつらいね。光景が本当に…」

仕事で遅くなっても、いつも寝ないで待っていました。

山下賢治さん
「事件まで、ずっと寝るのは一緒に寝ていましたからね。あの子はぼくの耳がないと寝られない子だったので。耳をさわるんです、あの子」

娘がのこしてくれた「書き初め」。事件に巻き込まれる直前に書いたものです。その出来事が起きたのは、1997年3月16日。

「手を洗う場所を知りませんか?」と男から尋ねられました。「小学校にならありますよ」と彩花ちゃんが案内している途中、「お礼を言いたいのでこちらを向いてください」と男に言われ、ハンマーで殴られたのです。

2か月後、今度は11歳の土師淳君が犠牲に。遺体の一部が中学校の正門に置かれていました。

「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」と名乗り、新聞社に挑戦状と犯行声明文を送ったのは…

「被疑者は神戸市須磨区居住の中学3年生、A少年、男性14歳です」

加害者は少年。年齢以外の情報は、全て閉ざされました。

母・京子さん(当時51)
「ほんとよくぞ生きてきたなと思って、10年と一口でいうけど365かける10で3650日。成人式に、友達と一緒に行っていたやろうなと思うと、1月15日は切なかった。すごくさみしかった」

苦しみに追い打ちをかけたのは法律の壁でした。「少年法」により、遺族でさえ、得られる情報は限られていました。6年5か月後、少年院を仮退院し保護観察を終えると、「法律上は」罪を償ったことに。

京子さん
「情報がないというのはね…、つらいですね」

Aからは年に1度、弁護士を通して、手紙が遺族の元に届けられていました。

京子さん
「『罪を償う』っていうのは書かれてあるけど、すごく抽象的でしょ。逃げようとするかもしれないけど。でも絶対逃げてほしくはない、逃げてはいけないと思う」

ところが、Aは突然、そのつながりを自ら断ちました。手記を出版したのです。ペンネームは「元少年A」。遺族に対して事前の連絡はありませんでした。

「自分の言葉で自分の想いを語りたい…」もう一人の被害者、土師淳くんの父、土師守さん。突然の出版に激しい憤りを感じました。

淳くんの父・土師守さん(当時59)
「中身は見ていませんけども、犯罪のこともこと細やかに書いてあるのだろうというふうに思いますから、最初に本当に彼に殺されて、今度また汚されてしまったように思ってしまいますので」

山下さんも、一方的な出版に失望。Aから届いていた手紙は全て破り捨てました。その後、Aからの手紙は途絶えました。

 ◇◇◇

保護観察中、ある男性のもとで生活をしていた当時22歳のA。

身元引受人
「ご飯を食べるのもこの部屋でやっていました」

――仕事はしていた?

身元引受人
「職場は調理の関係のところに行ってましたので、そこで余りものがあると、ぼくのところに『どう?』とかいって。『うまいなあ、あんたもこんなのつくるの?』とか言って」

8か月後、「A」は一人暮らしを始めました。その頃から、男性はAと連絡が取れなくなりました。

小学4年生のとき、彩花ちゃんがお父さんと一緒に作ったオルゴール。

京子さん(当時43)
「夏休みの作品で『みんなから、かわいいって言ってもらった』って喜んで帰ってきてね。これが遺品になるやなんて思わなかった」

事件から10年、山下さん夫妻は長野の中学校を訪ねました。

生徒
「神戸少年事件で亡くなられた山下彩花さんのお話を聞きました。彩花さんが好きな『星に願いを』を演奏したいと思います」

京子さん
「『兆し』この漢字に『しんにょう』をつけます。『逃げる』という文字と、今度は『しんにょう』をはずして『手へん』をつけると『挑む』ですよね。挑戦するの『挑』です。よく似ていますが、180度違う結果を招きます。目の前に大きな悩みがおきてきたときに、逃げるのか、挑むのか、それによって結果は180度違ってきます。私たちは逃げることをせずに前に前に、倒れても倒れても進んできました」

母・京子さんは5年前に乳がんで亡くなりました。困難に挑み続けた人生でした。

父・賢治さん
「気丈な人ですからね…がんと闘いながら、講演活動やって、命の大切さを訴えて。やっぱり彩花がこの『生きる力』という言葉をのこした。勇気をあたえる言葉」

山下さんは、地域で少年野球の指導者をしています。事件の後も、25年続けてきました。

父・賢治さん
「これが今の自分の生きがいじゃないですかね、これがあるから自分もこうやって、子どもたちが育っていくのを見ていくことも大事だし、健全な子どもをつくるということが(大事)、野球をとおして、悪いことできないですよ、こういうこと一生懸命やっていたら」

取材の中で、弁護士のもとにAが遺族に宛てた「手紙」があることを知りました。

Aの両親の代理人・羽柴修弁護士
「山下さん、これごらんになりました?私もまだ見てない」

賢治さん
「見てないです。見るのは別に見ますよ」

Aの両親の代理人・羽柴修弁護士
「そうしてほしいな」

Aが両親経由で弁護士に託した「手紙」。娘と最後に交わしたやりとりについて少しでも情報がないか。手紙は、印刷された文字で10枚。

賢治さん
「ほんま、この子はかわいそうな子やな。この本を出したことによって、この子自体も失うもの全て失ったという感じ。彩花の目…ですかね。それを忘れることができないって書いてます」

本を出版した後に遺族に宛てたものでした。わが子が事件にあった時の、痛みや苦しみ。親として「知らなければならない」と思っています。

賢治さん
「本人はもうわからなくなっていたかもしれないけど、多分わからなくなっていたと思う…何回もたたかれたと…痛かったやろうと思う。それを思うとね…めっちゃ悔しい」

「手紙」は、今年も届きませんでした。

賢治さん
「(Aは)原点に返らなきゃならない。もう1回、彩花ちゃん、淳君のことを考え直さないといけない。申し訳ないという気持ちになるのであれば、そこにもう1回戻って、再度手紙を書き続ける。自分の誠意を見せていくってことが必要じゃないかと思う」

この25年、生きてきた道のりには、いつも娘の笑顔がありました。今年も「彩花桜(あやかざくら)」が見守ります。母・京子さんも一緒に。

賢治さん
「一段と華やかさを感じますよね。力強いね、やっぱり」

NNNドキュメント’22「生きる力 ― 神戸連続殺傷25年 途絶えた手紙 ―」2022年5月22日(日) 放送 (大阪・読売テレビ制作)を再編集しました。