はなちゃんのみそ汁~父娘(おやこ)で歩んだ15年
はなちゃんが手作りするみそ汁。作り方を教えてくれた母親の千恵さんは、はなちゃんが5歳の時にがんで他界。「料理を通して生きる力を伝えたい」。みそ汁は千恵さんが残してくれた“命のレシピ”です。みそ汁を通して見つめた父と娘の15年の記録です。
お母さんを亡くして、作り始めた、はなちゃんのみそ汁。
「おみそ汁作りをしていて一番うれしいことはなんですか?」
安武はなちゃん
「パパが笑ってくれるから」
悲しみも…、喜びも。そこにはいつも、家族をつなぐみそ汁がありました。
はなちゃん
「(みそ汁作りは)当たり前だけど、今の私にとっては 特別なことなのかな…。(お母さんに)『毎日充実しているよ』って言いたいです」
お父さんと、7歳だった はなちゃん。削ったカツオ節でダシをとり、2人で手作りした味噌。
「いただきます」
父と娘の朝ごはんには、お母さんからのレシピ、みそ汁がいつも並びます。
母・安武千恵さん
「おみそ汁はどうかな…残っているんじゃない」
千恵さんのブログ
「がんになり最初はたくさんつまずいたけれど、私は気がついた。『食が命をつくるのだ』と…。まだ早いけど、4歳になった今年は料理を少しずつ教えていこうと思う」
千恵さん
「とってもよく似合うよ。フフフ。はーい、よく似合ってるよ」
料理を通して食の大切さと「生きる力」を伝えようとした、千恵さん。
「お母さん結構、色々厳しく教えたと思うけど、怖かった?」
はなちゃん
「…うん、怖かったから上手になったと思う」
料理作りを教え始めてから1年4か月後、千恵さんは亡くなりました。33歳でした。
父・安武信吾さん
「だんだん気持ちが落ち込んでいって、喪失感に苦しんでいきましたね。ふと娘が思い立って、朝、みそ汁を作ってくれたんですよ」
お父さんと一緒に、料理の腕も上がっていきました。
信吾さん
「何点?」
はなちゃん
「100点」
信吾さん
「100点?だんだん上手になるね」
「はなに自分を託していたんじゃないでしょうかね。ぼくの中でも、今、千恵がはなで、はなが千恵なんですよ…」
はなちゃん
「パパ見て?」
信吾さん
「おぉー!そっかぁ、中学生か…」
いつも笑顔で、お母さんのいない寂しさを見せなかった はなちゃん。『はなちゃんのみそ汁』が映画化された時、一度だけ、お母さんへの思いが、溢れ出しました。
はなさん
「今でも伝えたいことがいっぱいあるから…会いたいなって思いました」
信吾さん
「あら、どうした?…よしよしよしよし」
「思い出した…」
「お母さんに会いたい」。それは、今まで口にしなかった言葉でした。
信吾さん
「口に出すと自分が壊れてしまいそうな時って、ぼくもありましたので、 我慢して張り詰めていたものが、切れてしまうという…それはおそらく娘の成長…心の成長だと思う」
中学の卒業式前日。2人が向かったのは千恵さんも大好きだった、馴染みのお店。
はなちゃん
「わたしがここで宿題してご飯食べて、お父さんの帰りを待っていたりしていましたずっと…」
信吾さん
「(夜)8時とか9時とかに迎えに行ったときは大体寝ていましたね。で、お客さんたちからぼくが怒られるんです。『パパ遅いぞ!』と言って。おんぶして連れ帰ってました。そして、振り返ったら、みんなが、『がんばれ!』と言ってくれるんですよ」
2人3脚で歩んできた親子にも、反抗期が訪れました。
信吾さん
「いいね。ちょっと大きくない?」
はなちゃん
「何が?」
信吾さん
「(制服の)ベスト」
はなちゃん
「話すのも嫌なくらい(あの時は)顔も見たくないし」
信吾さん
「2年ぐらいはほとんど家では会話がなかったんじゃないですかね」
それでも、食卓には、はなちゃんのみそ汁が並んでいました。言葉では言えなかった、はなちゃんが、お父さんに送った手紙。
(はなちゃんの手紙)
「もう少し、はなの心が大人になるまでガマンしてね」
そして、成人の日を迎えました。
信吾さん
「妻が亡くなって15年、めちゃくちゃ早いですねやっぱり」
はなさん
「父の姿を見ていて、わたしの子育てを1人で一生懸命、頑張っていたなって思います。お母さんの分もたくさん愛してくれたなぁって思います」
2023年2月5日放送 NNNドキュメント'23『はなちゃんのみそ汁~父娘で歩んだ15年』をダイジェスト版にしました。
お母さんを亡くして、作り始めた、はなちゃんのみそ汁。
「おみそ汁作りをしていて一番うれしいことはなんですか?」
安武はなちゃん
「パパが笑ってくれるから」
悲しみも…、喜びも。そこにはいつも、家族をつなぐみそ汁がありました。
はなちゃん
「(みそ汁作りは)当たり前だけど、今の私にとっては 特別なことなのかな…。(お母さんに)『毎日充実しているよ』って言いたいです」
お父さんと、7歳だった はなちゃん。削ったカツオ節でダシをとり、2人で手作りした味噌。
「いただきます」
父と娘の朝ごはんには、お母さんからのレシピ、みそ汁がいつも並びます。
母・安武千恵さん
「おみそ汁はどうかな…残っているんじゃない」
千恵さんのブログ
「がんになり最初はたくさんつまずいたけれど、私は気がついた。『食が命をつくるのだ』と…。まだ早いけど、4歳になった今年は料理を少しずつ教えていこうと思う」
千恵さん
「とってもよく似合うよ。フフフ。はーい、よく似合ってるよ」
料理を通して食の大切さと「生きる力」を伝えようとした、千恵さん。
「お母さん結構、色々厳しく教えたと思うけど、怖かった?」
はなちゃん
「…うん、怖かったから上手になったと思う」
料理作りを教え始めてから1年4か月後、千恵さんは亡くなりました。33歳でした。
父・安武信吾さん
「だんだん気持ちが落ち込んでいって、喪失感に苦しんでいきましたね。ふと娘が思い立って、朝、みそ汁を作ってくれたんですよ」
お父さんと一緒に、料理の腕も上がっていきました。
信吾さん
「何点?」
はなちゃん
「100点」
信吾さん
「100点?だんだん上手になるね」
「はなに自分を託していたんじゃないでしょうかね。ぼくの中でも、今、千恵がはなで、はなが千恵なんですよ…」
はなちゃん
「パパ見て?」
信吾さん
「おぉー!そっかぁ、中学生か…」
いつも笑顔で、お母さんのいない寂しさを見せなかった はなちゃん。『はなちゃんのみそ汁』が映画化された時、一度だけ、お母さんへの思いが、溢れ出しました。
はなさん
「今でも伝えたいことがいっぱいあるから…会いたいなって思いました」
信吾さん
「あら、どうした?…よしよしよしよし」
「思い出した…」
「お母さんに会いたい」。それは、今まで口にしなかった言葉でした。
信吾さん
「口に出すと自分が壊れてしまいそうな時って、ぼくもありましたので、 我慢して張り詰めていたものが、切れてしまうという…それはおそらく娘の成長…心の成長だと思う」
中学の卒業式前日。2人が向かったのは千恵さんも大好きだった、馴染みのお店。
はなちゃん
「わたしがここで宿題してご飯食べて、お父さんの帰りを待っていたりしていましたずっと…」
信吾さん
「(夜)8時とか9時とかに迎えに行ったときは大体寝ていましたね。で、お客さんたちからぼくが怒られるんです。『パパ遅いぞ!』と言って。おんぶして連れ帰ってました。そして、振り返ったら、みんなが、『がんばれ!』と言ってくれるんですよ」
2人3脚で歩んできた親子にも、反抗期が訪れました。
信吾さん
「いいね。ちょっと大きくない?」
はなちゃん
「何が?」
信吾さん
「(制服の)ベスト」
はなちゃん
「話すのも嫌なくらい(あの時は)顔も見たくないし」
信吾さん
「2年ぐらいはほとんど家では会話がなかったんじゃないですかね」
それでも、食卓には、はなちゃんのみそ汁が並んでいました。言葉では言えなかった、はなちゃんが、お父さんに送った手紙。
(はなちゃんの手紙)
「もう少し、はなの心が大人になるまでガマンしてね」
そして、成人の日を迎えました。
信吾さん
「妻が亡くなって15年、めちゃくちゃ早いですねやっぱり」
はなさん
「父の姿を見ていて、わたしの子育てを1人で一生懸命、頑張っていたなって思います。お母さんの分もたくさん愛してくれたなぁって思います」
2023年2月5日放送 NNNドキュメント'23『はなちゃんのみそ汁~父娘で歩んだ15年』をダイジェスト版にしました。