『街に遺る八〇年の記憶』公園にたたずむ傷だらけの変電所 米軍空襲の標的に 東京・東大和市
今年は戦後80年。私たちは「いまを、戦前にさせない」をコンセプトに様々な企画をお伝えします。番組では、『街に遺る八〇年の記憶』と題し日常の風景に今なお残る戦争のつめあとを巡ります。一回目は市民の憩いの場に立つ“傷だらけの変電所”を訪ねました。
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東京・東大和市にある都立東大和南公園。市民に親しまれるこの公園の一角にあるのが、1938年に建設された旧日立航空機変電所です。外壁に残る多くの傷痕が当時の攻撃のすさまじさを物語ります。
東大和市がある多摩地域には当時、軍需工場が多くありました。工場に電力を供給していたこの建物も含め太平洋戦争ではアメリカ軍の標的に。1945年に3回の空襲を受け、従業員や周辺住民など111人の方が亡くなりました。
大きな被害を受けたものの1993年まで変電所として稼働し、その後、東大和市の文化財としてありのままの状態で残されています。
東大和・戦災変電所を保存する会 後藤祥夫さん(70)
「多くの方が亡くなったということを忘れないでいただきたい。生々しい形で当時の記憶が残されているのはなかなかないので、そういった意味でも一度訪れていただければありがたいですね」
今なお、街に遺る80年の記憶。旧日立航空機変電所は、水曜日と日曜日の週2回、中に入って見ることもできるということです。
(1月9日放送『Oha!4 NEWS LIVE』より)
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広島・長崎に原爆が投下され、戦争が終わって80年となります。戦争をした国に生まれた私たちが、二度と戦争を繰り返さないという「誓い」の意味を改めて考えます。情報提供サイトで資料や証言を募集しています。