仙台地裁「学校の裏山に避難すべきだった」
「津波は予見できなかったのか」「なぜ裏山に避難できなかったのか」―東日本大震災で津波に襲われ亡くなった石巻市・大川小学校の児童の遺族らが、市などに損害賠償を求めていた裁判で、仙台地裁は学校側の責任を認め、14億円余りの賠償を命じた。
【あれから5年半】
■東日本大震災による津波の爪痕が今も残る宮城県・石巻市の「大川小学校」。むき出しの鉄筋が津波の威力を物語っている。子どもたちの姿がなくなった教室は鳥たちのすみかとなっていた。
■26日朝、大川小を訪れ、手を合わせる佐藤和隆さん。当時、小学校6年生だった雄樹くんを津波で失った。
■佐藤さん「亡くなった息子との関係性で言えば5年半という時間は全然感じない。昨日のことのように今でも感じています」
【大川小学校の悲劇】
■2011年3月11日、海から約4キロ離れた大川小学校には、川をさかのぼった高さ8メートルを超える津波が押し寄せた。
■地震の後、児童は教職員の指示で校庭に待機していた。川沿いの「三角地帯」と呼ばれるわずかな高台を目指して、避難を始めたのは最初の揺れから50分後。その避難中の児童を津波が襲った。
■全児童108人のうちの74人と、教職員10人が津波の犠牲になった。
【裏山に避難できていれば―】
■犠牲になった児童のうち23人の遺族らは2014年、石巻市などに23億円の損害賠償を求めて提訴した。
■佐藤さんは、雄樹くんが先生に裏山へ逃げようと話していたことを助かった児童から聞いた。
■佐藤さん「あそこですね、あの杉山。シイタケ栽培とかをよく子供たちがしていた。普段から学校の学習の一環で使っている山ですね。そこに早い段階で、万が一を想定して登っていれば、全員難しいことじゃなく助かっていたと思います」
■「三角地帯」とよばれるわずかな高台を目指した児童たち。一方で、大川小のすぐ近くには裏山があった。この裏山に避難することはできなかったのだろうか。
【双方の主張は対立】
■裁判では、この点が争点となり、裁判官が現地を視察。距離や高さの確認を行った。
■佐藤さん「なんで登れる山がありながら、普段子供たちが登っている山がありながら、そこに行くという意志決定を先生方ができなかったのか、私は知りたいと思ってます」
■裁判で学校側は、当時のハザードマップで想定されていた津波の浸水予測地域に大川小は含まれておらず、津波は予測できなかったなどとして請求の棄却を求めていた。
【仙台地裁「学校の裏山に避難すべきだった」】
■主張が対立したまま迎えた26日の判決。仙台地裁は、学校側の責任を認め、14億円余りの支払いを命じる判決を言い渡した。
■仙台地裁は、石巻市の広報車による避難の呼びかけを聞いた段階、つまり津波が到達する7分前の午後3時30分までに大規模な津波がくることを予測できたと指摘。その上で、避難先としては児童たちが向かった「三角地帯」ではなく、学校の裏山にすべきだったとした。
【判決を受けた遺族は―】
■佐藤和隆さん「もう5年以上ずっと『なぜ?なぜ?』なんです。なぜ死ななければならなかったのか」「どんだけ怖かったかなという思い。それを石巻市、宮城県の教育関係者に分かってもらいたい」
■石巻市などは控訴について協議した上で、対応を検討したいとしている。