【沖縄戦と首里城】與座章健さん証言 前編
去年10月、火災に見舞われた沖縄の首里城。75年前の沖縄戦でも焼失し、再建まで半世紀近くかかったこともあり、去年の火災は沖縄の人々に大きな衝撃を与えた。
その地下に巨大な地下壕(ごう)が存在する。この壕は、沖縄戦で、アメリカ軍と対峙(たいじ)した旧日本軍の第32軍が、一時、司令部を置いた場所で、一帯は激戦で焼け野原となり首里城も焼失した。
戦後は、崩落の危険があることなどから立ち入りが禁止されていたが、去年10月の首里城火災をきっかけに、戦争の記憶を次世代に伝える場所として壕の保存と公開を求める声がいまあがっている。
75年前、いったい何があったのか。私たちは首里城の沖縄戦を知る方々から数々の証言を伺った。戦争を知らない世代にいま伝えたい、知られざる地下壕に秘められた戦争の歴史とは。
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與座章健さん、91歳。
沖縄県立第一中学校(現・首里高校)在学中から、陣地の構築など戦争準備に駆り出された。
首里城地下の第32軍司令部壕から土を運び出す作業にも従事。学徒兵で構成された「鉄血勤皇隊」として多くの学友を沖縄戦で失った。
與座さんに、沖縄戦の体験や、首里城地下の「第32軍司令部壕」を保存する動きなどについてお話を伺った。
当時、中学生だった與座さんにとって首里城はどのような場所だったのだろうか。
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【與座章健さん】
それはもう。忘れもしないさ、僕ら一中の全校生徒は時々朝の朝礼するわけ。12月8日、宣戦布告をした昭和16年(1941年)12月8日。それにちなんで毎月8日の日は朝礼の時間は、全校生徒そろって首里城の拝殿の前、そこは「御庭(うなー)」といって、その広場まで行って、整列して戦勝を祈願する。ということが習慣になっていました。これは2~3年続いた。毎月8日はやっていましたよ。
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與座さんの学校生活で勉強の時間はなく、戦争の準備ばかりだった。砲台や軍用機を隠すための壕の建設、輸送船の荷下ろしなどに駆り出されたが、1945年3月ごろから、第32軍司令部壕の作業に携わることに。そして当時、與座さんがいた4年生は、1年間繰り上げての卒業になり、鉄血勤皇隊として編成された。作業に当たった壕の内部はどんな様子だったのか。
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【與座章健さん】
司令部の壕だということはある程度知ってたんじゃないかな。首里城の下の壕が掘り始めたのがいつなのかよくわからないが、僕はたまたま勤皇隊に入ってから作業したけど、その頃すでに壕はほとんどできあがってて、僕らの作業は恐らく落盤した土を外に運び出した。こういう作業だったような感じがする。
Q.運び出す作業は大変だった?
【與座章健さん】
そんなに厳しいという感じはしなかった。トロッコに土をスコップで入れる。満杯になったら押していく。トロッコの後ろから押すくらいですからそんなに重く感じない。時々ね、それでも土の重みだったのか線路の勾配だったのかわからんけど、(トロッコが)動かなくなるときがあった。そのとき、そばを通って行く兵隊が「おまえたち元気を出せ!」と尻を蹴飛ばしていくことも。
Q壕の中はどうなっている?
【與座章健さん】
そばから人1人通る位の広さ。壕の通りの横に人2、3名が寝られるような場所が掘ってあったという話があったが、僕が作業した場所にはそういうのは無かった。
電灯はついていましたね、裸電球が。薄暗く照っていた。天井からポツポツと水が落ちてくる、湿っぽい、暑い。外の空気を吸いたいなって感じだよ。
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■危険な作業も…勤皇隊に犠牲者が
壕の中の作業に不安はなかったというが、首里への攻撃が続く中、鉄血勤皇隊の仲間に犠牲者も現れた。
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【與座章健さん】
そんなに苦しい作業じゃなかったよ。それに壕の中ですからある意味安全だね。ただし入り口へ出てトロッコに積んだ土を放り出す間、これが10分か20分ぐらいこれが一番危険さ。それは上から米軍のグラマン(爆撃機)が飛んでくるし、あるときはグラマンが急降下し僕らのところへ黒い爆弾が落ちてくるのが見えた。
ちょうど僕らの真下に落ちてくる。「これは大変だ」と何もかも捨てて壕の中に入り込んだ。すると、ずっとずっと下の方で爆発しちゃった。僕らの方に落ちてくるような感じ。
炊事当番を担当していた炊事班の連中は危険。壕の中で飯を炊くわけにはいかんので壕の入り口で飯を炊く。それは危険。だから何名か負傷した、最初の攻撃で。だから炊事班の連中は大変だったんじゃないかな。炊事当番してる作業中に攻撃されて何名か死んでるよ。ああいう危険な作業も担当せざるを得なかった。
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当時の與座さんはどのような思いで首里城の地下での作業に関わったのか。
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【與座章健さん】
普通なら琉球王国の城の下に壕を掘ること自体、普通なら考えられないよね。だけどそういう感覚はすでに麻痺していた。この戦争をいかに勝ち抜くかということでみんな精神集中。そこへ思いを一致させられているからそんなことは感じなかった。今考えると大変なことさね、あんなところに壕を掘るというのは。ところが当然のこととして何の疑問もなく。唯々諾々というかね。やっておった。
(後編へ続く)