プロピアニスト目指す音大生が「局所性ジストニア」に 左手思うように動かせず…「感謝を伝えたい」挑んだ大会、その先に【バンキシャ!】
日本テレビ「カラフルDAYS」では、多様性をテーマにした企画で自分らしく生きられるヒントをお届けします。「バンキシャ!」が今回、注目したのは片方の手を使って演奏する国際ピアノコンクールです。病気で突然、左手が思うように動かせなくなった23歳のピアニストの挑戦に密着しました。
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小学生にピアノのレッスンをする押川憧子さん、23歳。プロのピアニストを目指すさなか、突如、左手が思うように動かなくなった。両手での演奏は難しい。だからこそ押川さんは、あるコンクールへの挑戦を決めた。
コンクールの名は、「左手のピアノ国際コンクール」。7年前、初めて世界大会が開催され、3回目となる。出場者は全員、片方の手だけで演奏。抱える事情はさまざまだ。
出場者
「脳の病気で。右手と右足が不自由になったので、(大学で)パイプオルガンを専攻してたんですけど、それが弾けなくなって」「複雑骨折。ここまでしか曲がらないし、まっすぐならないし」
左手のピアノ国際コンクールという名前だが、右手でも出場できる。押川さんも強い思いを胸にコンクールに挑む。
押川さん
「周りにたくさん支えてくださる人がいて、その人たちに感謝しなきゃいけないなと」
周囲に支えられ再び向き合い始めたピアノ。「優勝して新たな一歩を踏み出したい」、その挑戦を追った。
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押川さんはプロのピア二ストを目指し、音大入学を機に上京してきた。
――すごいですね、(部屋の中で)ピアノの占める割合が。
押川さん
「もう慣れちゃって」
いまも1日4時間の練習は欠かさない。しかし、演奏を始めると左手に症状が現れる。病名は「局所性ジストニア」。
押川さん
「今日(手の調子が)あんまり良くない。できないです」
特定の動作を繰り返し行うことで発症するとされ、指や手首など、体の一部がこわばったり、力んでしまったりする神経性の病だ。
押川さんがある楽譜を見せてくれた。
押川さん
「これは大学1年の後半くらいからずっとやってたかな。同じ音の連打がすごく難しくて」
一番好きなベートーベンのピアノソナタ。演奏してみるも左手の連打の部分で…
押川さん
「いま止まったところが絶対に弾けない」
押川さんがピアノを始めたのは4歳の頃。小学生で地元のコンクールに出場し始めると、高校時代には全国で1位に輝く。そして、音大に合格。難関の大学院入試に向け日々、練習に没頭していた大学4年生の時に症状が出始める。
押川さん
「1日8時間くらい練習していて、曲数がすごく多くて。なのに、まったく弾けるようになっていかない」
“なぜ左手がうまく動かないのか…”無理に鍵盤をたたき続けるうちに、首や肩に痛みが出てきたという。
押川さん
「(局所性ジストニアと)診断された時にちょっと安心した。もう弾かなくていいんだって思って。それくらい、練習している時間がすごい辛かった」
病気とわかった直後、相談したのは近くに住む親戚だった。練習からは解放されたものの、プロへの道が絶たれたと思い、ひと月で体重が5キロも減った。
伯母
「『ご飯が食べられない。眠れない』って言ってたよね、不調だったね」
押川さん
「確かに眠れなかった」
押川さんの父・謙二郎さん
「頑張ってる姿は見てたから、弾けないのがつらかったんでしょう」
絶望の中であったのが、左手で弾くピアノ曲だった。第一次世界大戦で右手を失ったオーストリア人のピアニスト、ウィトゲンシュタイン。左手の曲を名だたる作曲家に依頼したことで知られ、その後も多くの曲が生み出された。
両手でなくてもピアニストとして曲を届けることはできる。診断から1か月。押川さんは再びピアノに向かい始めた。1年近く練習を続け、去年9月、片方の手だけで弾く国際ピアノコンクールに挑戦することを決めた。
押川さん
「(演奏する機会を)失って大切さに気づく。もうすごく前向きに頑張れるようになりました」
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本選を間近に控え、訪れたのは行きつけの美容室。長かった髪をバッサリと切った。
押川さん
「リスタートです。周りにたくさん支えてくださる人がいて、その人たちに感謝しなきゃいけないなと」
目指すのは、もちろん優勝だ。
コンクール当日。予選を勝ち抜いたフランスや韓国のピアニストが出場し、3つの部門からなるこの大会。押川さんは、7人が出場するセミプロフェッショナル部門で優勝を狙う。家族も応援に駆けつけた。
そして…この舞台に選んだのは、病気になって初めて右手だけで演奏をした曲だ。
――納得のいく演奏できました?
押川さん
「体に力が入りすぎたかもしれないです」
見守り続けてきた父は――。
押川さんの父・謙二郎さん
「いい音が出ていて、非常に心に響く感動するいい演奏でした」
押川さん
「よかったです」
そして結果が発表された――。
「セミプロフェッショナル部門 1位は押川憧子さんに決まりました」
見事、優勝。新たな目標もうまれていた。
押川さん
「自分が音楽に助けられたので、私も誰かの希望になれるようなピアニストになりたいなと。ドイツに留学したくて、音楽の勉強をもっとしたい」
(2月16日放送『真相報道バンキシャ!』より)