封印~沖縄戦に秘められた鉄道事故~
知っていますか?沖縄戦の4か月前に“封印”された、日本最悪の鉄道事故があったことをー。
「人間の肉が飛んできたという話は聞いた」
220人以上が命を落としたとされています。
清水さん「軽便鉄道の事故のような記事はないですね」
日本軍は事故調査の後、この事故を封印しようとしました。軍が積んでいた「弾薬」が、大爆発の原因だったからです。
事故を知る金城功さん「(鉄道の)爆発があった当時は日本軍がかなり抑えていたんでしょうね。かん口令をひいて」
取材班は、唯一の生存者の証言と、複数の資料から“封印”された事故を検証し再現しました。
沖縄県営鉄道(通称:軽便鉄道)。大正時代に開通し、県民の通勤や通学などに利用されていました。
糸数ヨシ子さんは15歳の女学生の時、爆発した列車に乗っていました。爆発事故が起こったという現場を、案内してもらいました。
糸数さん「あっ、ここだ!」
220人を超える人々が、一瞬で亡くなったという場所。
糸数さん「下の方に鉄道の線があって、こちらが急にバーっと全部火がついた」
1944年12月11日。晴れ時々曇り。列車は兵隊で屋根まで満載となり、糸数さんは友人たちと2両目の貨車に乗せてもらいました。兵隊たちと雑談していた、糸数さん。
糸数さん「学生も乗っているし、兵隊さんもいた。笑って話して、なんともなかったんですよ、その前まで」
重い列車を引いた蒸気機関車は、上り坂にさしかかると、煙突からたくさんの火の粉を吹いていたといいます。
糸数さん「火が付いたのを真っ先に見たんですよ。それがバーッと全部燃え広がってんでしょうね。この人たち(兵隊)が真っ先に飛び降りたんですよ」
それを見た糸数さんも列車から飛び降りました。その直後。大爆発が―。
糸数さん「人一人残っていないんです、見たら。みんないなくなったんだなと思った」
一両目の積荷は“ドラム缶”でした。
「ガソリンがいっぱい積んでありますから、そこに火がついた」
3両目からの貨車の、兵隊が座っていた荷物は「弾薬」だったのです。それにドラム缶の炎があっという間に引火。
しかも、事故現場の周辺には、近づく地上戦に備えて、さとうきび畑の中に“弾薬”が野積みされていたのです。周囲の弾薬に次々に誘爆、こうして集落を巻き込む大爆発に―。
陸軍の参謀長が発した注意喚起の記録が見つかっています。
「無蓋(むがい)車に弾薬ガソリン等を積載すべからざることは規定に明確」
爆発は軍の規則違反が招いたものでした。この事故で数百トンの弾薬を失い戦力は半減。
事故から4か月後、沖縄に連合軍が上陸。一般住民や兵士など、役20万人が命を落としたのです。人も、街も、鉄道も、戦争の犠牲となった沖縄。
75年という長い時が過ぎ去っても、決して、封印してはならない歴史がありました。
※日本テレビで制作したものをリメイク。2020年6月放送、NNNドキュメント「封印~沖縄戦に秘められた鉄道事故~」より。
【the SOCIAL×NNNドキュメントより】