「赤チン」最後の製造 昭和の膝小僧で活躍
昭和時代、擦り傷をした子供たちが塗っていた「赤チン」。国内に現存する唯一のメーカーでは、24日、最後の製造を迎えることになりました。
80代「私はね、赤チン育ち」
50代「よく膝小僧に、赤チン塗りつけてましたね」
世代によってはおなじみですが――
■(赤チン)どんなものだと思います?
10代「赤いちょうちん?」
20代「見たことないです」
若者は聞いたこともない商品。
昭和時代、擦り傷をした子供たちは、いつも赤い消毒液を塗っていました。通称「赤チン」。
国内に現存する唯一のメーカー、東京世田谷区の三栄製薬。創業68年、作り続けた赤チンのその数「数億本」。24日で、最後の製造を迎えることになったのです。
三栄製薬・藤森博昭社長「一番思い入れがある商品だから、最後まで作っていきたいという気持ちが強く、今日まで来ました」
赤チンの製造は1960年代ごろピークとなり、メーカーも最大100社ほどありましたが、原料の製造過程で発生する水銀が、四大公害病の「水俣病」の原因と断定されるなどあって、急速に市場が縮小しました。
その後も、海外から原料を調達して生産を続けていましたが、2018年には、最後の1社になり、大みそか以降は、輸入にも規制がかかるため、24日で身をひくことを決めたのです。
今も大量のファンレターが届いています。
藤森社長「赤チンが大好きですとかね。全国で使われて愛されてきたんだなって、うれしい限りです」
いよいよ、終止符を打つ時がやってきました。
藤森社長「いつもと変わらぬいい色してます。人々の心の中に、いつまでも残ってくれる気はします」
本当に、最後の1本については――
藤森社長「申し訳ないですけど、私がもらって、亡くなった(先代の)両親に報告したいと思います」
また1つ、昭和の古き良き商品のともしびが消えました。