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「一生の思い出となりました」愛子さま、学習院大学を卒業 指導教授が明かす“横顔”

2024年3月20日 20:23
「一生の思い出となりました」愛子さま、学習院大学を卒業 指導教授が明かす“横顔”

天皇皇后両陛下の長女、愛子さまが20日、学習院大学の卒業式に出席されました。愛子さまはどんな学生生活を送られたのか、卒業論文の指導教授が大学での様子を明かしました。

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20日、桜色の振り袖に紺の袴姿で学習院大学の卒業式に出席された愛子さま。式の前に取材に応じ、晴れやかな笑顔で心境を語られました。

――ご卒業おめでとうございます

「ありがとうございます」

――大学生活を振り返られていかがですか?

「最初の3年間はオンライン授業で、最後の1年はこのキャンパスに通い、たくさんの新しい学びを得て充実した4年間を過ごすことができました。素晴らしい先生方や友人たちと出会えたこともうれしく、またありがたく思っております」

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2020年4月に学習院大学文学部日本語日本文学科に入学された愛子さま。コロナ禍だったため、初めての登校は入学から半年後の2020年10月でした。

「大学では新しい知識を得た時に感じられる喜びを大切にしながら、様々なことに取り組んでいければと思っております」

入学後の3年間はオンラインでの授業が続き、卒業に際しての文書ではこう振り返られました。

大学卒業に際しての文書
「経験したことのないオンライン授業、インターネット上での課題の授受など、最初は操作も分からず不慣れな手つきで恐る恐る画面を開き、授業を受講していたことを懐かしく思い出します」

実際にキャンパスに通い始められたのは、4年生になってからでした。

大学卒業に際しての文書
「友人たちと一緒に授業を受けたり、直(じか)に話をして笑い合ったり、学内の様々な場所を訪れたりしたことは、私にとって忘れることのできない一生の思い出となりました」

卒業論文の題名は「式子(しょくし)内親王とその和歌の研究」で、中世を代表する女流歌人の一人であった、後白河天皇の娘「式子内親王」とその和歌を紹介するものだったということです。

卒業論文の指導を担当した教授は…

学習院大学文学部 中野貴文教授
「私の宮さまの印象は朗らかな人、明るい方。そして粘り強く真摯(しんし)な方というのが、指導教員としての私の印象です。宮さまがこだわられたという点でいうと、やはりとにかく最後の最後まで、自分の言葉で少しでもよりよくするために時間をかけられたこと」

中野教授は愛子さまと対面で、何度も長時間議論を重ねたということです。さらに、愛子さまの今後にエールを送りました。

学習院大学文学部 中野貴文教授
「笑顔が印象的だという話をしましたけど、これから先もそのようなお姿を拝見できればいいなと」

愛子さまの日本文学や歴史への強い関心は、小学校時代にも。日本テレビが入手した学習院初等科の小冊子の中で、当時小学6年生の愛子さまがつづられたのは、平安時代の摂関政治の全盛期に栄華を極めた「藤原道長」について調べた作文です。

藤原道長の日記で現存する自筆の日記としては、日本最古とされている約1000年前の「御堂関白記」がユネスコの記憶遺産に登録されることが決まった報道を見たほか、展覧会でも日記の実物をご覧になり、「これほど古い日記がよく残っているものだと驚いた」ということで、「この日記を書いた藤原道長について詳しく知りたいと思い、調べることにした」とされています。

作文では、「摂関政治」について藤原氏の系図も交えてまとめていて、自らの感想として「天皇とはどのように役割を分担していたのだろうか。藤原氏に権力が集中していても、天皇には仕事はあったのだと思う」とつづられています。

愛子さまの文章について、宮内庁担当の笛吹記者は…

日本テレビ報道局 笛吹雅子解説委員
「愛子さまの作文は、実際に見てご自身の感じられたこと、その後考えたことがしっかりと盛り込まれていると感じてきましたが、小学生の頃から大学の卒業論文に至るまで、その姿勢は全く変わらないと思いました。両陛下の教育方針が分かりますし、愛子さまの感性の豊かさとよく考える粘り強さは、今後の公務と日赤のお仕事に生かされていくと思っています」

愛子さまは、4月から日本赤十字社に嘱託職員として勤務し、皇族としての公務と両立されていくことになります。

大学卒業に際しての文書
「皇族としての務めを果たしながら、社会人としての自覚と責任を持って、少しでも社会のお役に立てるよう、公務と仕事の両立に努めていきたいと思っております」

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