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芥川賞・宇佐見りん「推し、燃ゆ」への思い

2021年2月17日 16:01
芥川賞・宇佐見りん「推し、燃ゆ」への思い

第164回芥川・直木賞にて芥川賞を史上3番目の若さで受賞した宇佐見りんさんにインタビュー。受賞作「推し、燃ゆ」に込めた思いや執筆のこだわりなどについて語ってもらいました。

先月発表された、第164回芥川・直木賞で21歳という若さで芥川賞を受賞。2019年のデビュー作「かか」でも最年少で第33回三島由紀夫賞を受賞するなど、発表した作品が次々と賞を受賞。各界からも注目されています。現役大学生でもある宇佐見りんさんにnews zeroがインタビューをしました。


Q:なぜ「推し」をテーマに小説を書いたのですか?

宇佐見:やはり細部まで書ける題材がいいだろうと思い、自分にも身近なテーマを選んだのが理由のひとつです。もうひとつは、“推し”を推す人たちへの一面的な見方が気になったから。“推し”という言葉が周知されるようになった半面、まだ「付き合えないのに応援してるんだね」「娯楽に過ぎないのにどうして有休までとるの?」とか、そういう言葉をかけられたりすることがある。でもその人にとっては「娯楽のために有休までとる」のではなく、「推すために仕事をがんばっているんだから、むしろ有休日がメイン」なのかもしれない。推し方は人それぞれですが、“推し”を推すことが生き甲斐で、人生の中心に背骨のようにあるという、そういう生き方をしている人もいる。その熱を目の当たりにした時にこれは一本の小説になるんじゃないかと思い書きました。

私には8年くらい応援している俳優さんがいて、でも私と主人公は推し方が全然違うので、執筆するにあたってブログやSNSなどまんべんなく検索しました。意識したのは、SNS上の反応に偏りが出ないようにということ。それから、あかりの応援の仕方が数多ある推し方のなかのひとつに過ぎないということをきちんと書くことでした。


Q:「推し、燃ゆ」を読んだ時に、主人公にとっては“推す”ことだったけど、何かを“推し”たことがない人でも、読者それぞれの“推し”に変わる何かに置き換えられるな。と思ったのですが…小説を書く上で、そういう思いはありましたか?

宇佐見:そうですね。そういう風に言って頂けるのは嬉しいです。作品というのは、自分だけの生活では見えてこない、他者の生き方みたいなものを読むことで少し覗いて想像する、そういうものだと思っていて。自分とは全然違うし理解できない、と思っていた人のことも、実は地続きであることがわかったりします。今回はたまたま現代的な題材だったかもしれないけれど、「推し」というものを全く知らなかったとしても、通じる人には通じるのではないかなと思います。逆に「推し」がいるという意味では近いけれど、書かれているものはまるで自分と違った、という人もいると思います。いずれにせよ、なぜこの人はこの生き方を選ばなければいけなかったのか、理解への道筋につながるような書き方をしたいと思っていました。


Q;自分が大きな影響を受けたと思う作品や人、言葉などはありますか?

宇佐見:もう亡くなられましたが、小説家の中上健次さん。私自身の作品にはさほど影響は出ていないと思うんですけど、中上さんの作品を読んだ経験は私の人生に大きく関わっているなと思います。ずっと一緒にいたいと思う彼の作品が何作もあります。

私はあまり多読ではなくて、気に入ったものを何度も読む派なんです。読むたびに味わいが変わるというのも理由の1つですが、私は一瞬通り過ぎただけではわからない文章があると思っていて。読むスピードと書くスピードは違うので、書いている方が当たり前に長い時間文章と向き合っているわけですよね。そういう風に時間をかけて書かれたものを、1回読んで終わるのは絶対にもったいないと思っています。何回も繰り返し読むことで得られるもの、もっと奥深く感じられることがあるだろうという風に思うので何回も読みますね。


Q:現在、大学2年生ですが、今後についてはどういう風に考えていますか?

宇佐見:今後は、まずは書くことを一生懸命やりたいというのは前提な上で、就職はしたいなという風には考えています。社会に出て実感できることとか沢山あると思うし。小説という根っこがもう決まっているから、他は何をやってもいいかなという風には思っています。

波のある職業なので作家一本でやるのは現実的に難しいのではないかとも思っていますし、直接的に社会に関わっているんだっていう実感もほしいです。小説を書く時はこもっているので外界と結構つながりが切れてしまうんですけど、もう一つ仕事をするなら、体を動かしたりする仕事に就きたいなっていう風に思っていて。汗水流して、生きている実感を得たいなというふうに思います。それが結果的にいい文章に繋がってくるんじゃないかなと期待していますが、それで小説がないがしろになるなら腹を決めてやめようとは思っています。