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東日本大震災10年 それぞれの祈りと思い

2021年3月12日 10:39
東日本大震災10年 それぞれの祈りと思い

東日本大震災から10年。娘の命を奪った場に、初めて立てた母がいます。子どもが生まれ「悲しいことばかりではなかった」と手を合わせる父がいます。多くの人が誰かを偲び、感謝し、誓い、前を向いた11日。それぞれの祈りが捧げられた被災地を歩きました。


■それぞれの被災地 祈りの1日

11日夜、福島県双葉町。キャンドルの温かい光が、被災地を照らしました。
「忘れないで」「笑顔」などと、その一つ一つに願いが込められています。そして夜空には、復興を願う花火が。花火は岩手県釜石市でも上がりました。

3月11日。あの日から10年。

死者9544人、行方不明者1214人(NNNまとめ)の宮城県。仙台市では、早朝から海に向かい、祈る人の姿がありました。

「震災遺構」として保存される、石巻市立大川小学校。74人の児童と10人の教職員が亡くなりました。小学5年生の娘を亡くした紫桃隆洋さんは、「親としてできること。それは、震災・津波・子どもへの思い・学校という場所、その中で命を考えていく。語り部として語っていく(こと)」と思いを新たにしました。

死者5145人(警察庁まとめ)、行方不明者1111人(復興庁まとめ)の岩手県。大槌町では、お墓に向かい、失った大切な人を悼む人がいました。

父親を亡くし、弟の行方が分かっていないという男性は「この10年で子どもたちも生まれたので、悲しいことばかりではなかった。父と弟も見てくれているのかなと思いますけどね」と振り返りました。


■今も3万5000人以上が避難 福島県

死者1614人、行方不明者196人(福島県警まとめ)の福島県。今も、県内外合わせ3万5690人が避難を強いられています。

浪江町の藤崎高雄さん(69)は、24歳の娘と、4歳の孫を亡くしました。「孫はね、宮城の方まで流されちゃって。3月11日が来ると、どうしても思い出しちゃってね。でも前向きに生きていかないとね」とお墓で手を合わせました。

津波で娘の葉子さんを亡くした浪江町の白川幸子さん(58)は、堤防の上に立っていました。
「ここに来たいという思いはあったんですけど、つらくて来られなかったんですね。でもなんか、もう10年もたつから、自分自身前を向いて歩くために、ここに来てけじめをつけなきゃいけないなって。私の子どもで生まれてきてくれてありがとう。また頑張ります。見守っててね、って」
葉子さんの写真を抱え、海に向かって目を閉じ、花を手向けました。

すべてが変わった、10年前の3月11日。


■各地で黙とう 「10年」の思いは

午後2時46分。各地で、黙とうのサイレンが鳴り響きました。マスク姿の多くの人が、海に向かって手を合わせたり、「震災遺構」に頭を下げたり。祈るように両手を眉間に重ねる人や、眼鏡を外して涙をぬぐう人も。岩手県宮古市では、風船が空に舞いました。

「あっという間というか、必死だった10年じゃないでしょうかね」(宮城県石巻市)
「終わりのない旅ですので。ただ単に10年が経過したという感じです」(宮城県南三陸町)
という声が聞かれました。


■東京では最後の政府主催追悼式

NNNのまとめでは、東日本大震災による死者は1万5900人。関連死は3775人、行方不明者は2525人に及んでいます。

東京では2年ぶりに、政府主催の追悼式が執り行われました。去年はコロナの関係で中止されていました。都内では335人のコロナ感染者が出る中、出席者は例年の約4分の1となりました。震災から10年。今年が最後の追悼式となりました。

(3月11日『news zero』より)