歌会始、両陛下“コロナ収束への祈り”歌に
3月26日、新型コロナウイルスの影響で延期されていた新年恒例の「歌会始の儀」が皇居で開催されました。両陛下が詠まれた歌のポイントを、長年、皇室取材に携わってきた日本テレビ客員解説委員の井上茂男さんに聞きました。
■天皇陛下、「祈る」の言葉に込められた思いと願い
「歌会始」は、天皇皇后両陛下や皇族方が臨まれたほか、一般公募から選ばれた入選者が出席して、「実」というお題で行われました。宮殿内で初めてアクリル板やフェースシールドが使われ、入選者の1人は福井県からオンラインでの参加となりました。
天皇陛下は、「人々の願ひと努力が実を結び 平らけき世の到るを祈る」と、世界中の人が大きな試練に直面していることに心を痛めつつ、感染症の収束を願う気持ちを詠まれました。
皇后さまは、「感染の収まりゆくをひた願ひ 出で立つ園に梅の実あをし」と、青く育った梅の実を見て、感染拡大で日常が大きく変わった中でも、変わらない自然の営みの力を感じたことを感慨深く詠まれました。
――両陛下の歌にどういったことを感じられましたか?
天皇陛下も、皇后雅子さまも、共にコロナの収束を祈り、願う歌でした。陛下の歌は「祈る」という言葉がポイントだと思います。上皇后さまが皇室の役割について、「皇室は祈りでありたい」と話されたことがあります。その言葉の意味について、1990年、陛下の妹の黒田清子さん、当時の紀宮さまが初めて臨んだ記者会見で、「これはある事柄や事態に対して、それがどのように説かれていくのが最も良いかということを決めるのは、国民の英知であって、皇室はひたすらにそのことに関して良かれと、祈り続ける役目を負うということを表しております」と説明しています。黒田さんの言葉を踏まえると、陛下の歌にある「祈る」はただ祈るのではなく、「ひたすらよかれと祈り続ける」ということだと思いますし、歌が「祈る」で終わっているところに、陛下の並々ならぬ思い、願いを感じました。
――私たちも実際に陛下や皇族方にお目にかかる機会はありませんが、「祈る」という言葉を聞くと、私たちにとってもより身近に感じられますね。
■“行う意義”を重視、天皇3代に受け継がれる稲作
――今後の皇室の活動で注目はどういったことでしょうか?
天皇陛下の稲作に注目しています。陛下は4月6日、皇居で稲のお手まき(種もみをまいて苗を作る作業)をされました。天皇の稲作は、1927年(昭和2年)、昭和天皇が農家の苦労を知るために田植えと稲刈りを始めました。平成になって、上皇さまが、種もみをまく作業を加えられました。“伝統ある行事はそのままの形を残していくことが大事だけれども、田植えのように新しい行事はそれを行う意義を重視したい”という考えからで、今の陛下も意義を感じて種もみまきから始められたと思います。コロナ禍にあっても、こうした行事は皇居で静かに行われています。皇后さまの養蚕と共に、伝統を大事にされる姿勢がうかがえ、お二人の取り組みに注目しています。
【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説委員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。