令華のまなざし DV家庭で育った私だから
「私は(父が)直接母親を殴っているのをみせられた」
DV家庭で育った私が、司法試験を突破した、いま、できること。
「自分の体験から変えたいなって思うことはあるし、救いたいなって思う人たちもいるから」
新田令華さん(24)。彼女に出会ったのは、中学生の頃。DVで家を飛び出した母と2人で暮らしていました。母・裕子さんが、夫から暴力を受け始めたのは、結婚直後からー
裕子さん「蹴られたりとか、髪の毛つかんで引きずりまわされたりとか」
その光景は、幼い令華さんの目にも焼き付いていました。
令華さん「ただ見てて、めっちゃ怖くて。『止めないと』とか『逃げないと』とか」
家を出た母は、うつ症状のため仕事もできず、自宅に引きこもりました。DVの影響は令華さんにも―。父のことを思い出すと、腕や体に出る発疹(ほっしん)。かんしゃくを起こして暴れることもあったといいます。
裕子さん「きょうも警察で言ってたんですけど、逆やったら私が訴えられるぐらい。でも結構でしょ?これ、つかまれるんですよね」
令華さん「最初からんできたんは、そっちやからな」
裕子さん「あんたいつまでもテレビ見てるからでしょ、試験中やというのに」
令華さん「いつまでもちゃうわ!きっしょ…そのうっとうしい顔やめろや」
高校時代に猛勉強を重ねた令華さん。希望した大学に入ることができました。選んだのは、法学部。
令華さん「親が裁判してたりで、法律で苦しい思いをしたり、そういうのがあったから、法律を勉強するのが一番自分にとっていいのかなと思って」
母子の関係は大学に入ると、次第に落ち着いていきました。必死に単位を取得し、大学3年での卒業を果たした令華さん。さらに学ぶための、法科大学院への進学。その“まなざし”の先には―
令華さん「弁護士になります」「当事者の置かれている立場みたいなものが分かる弁護士になる」
後を絶たない児童虐待事件。千葉県野田市では小学4年生の栗原心愛さんが父親からの暴力の末、亡くなりました。
令華さん「私は直接(父が)母親を殴っているのを見せられたっていうことだけなんですけど、それでも(家を)出てきたあと、ものすごい暴れる子どもだったし。直接の虐待がなくても、それだけのダメージを受けるんだったら、今回の野田市の子はどれだけつらかったか…本当に想像を絶すると思うんですよ」
5年間、法律に向き合い続けてきました。しかし…
令華さん「(受験番号は)なかったです…225はなかったです」
奨学金を返すため、早く社会に出なくては。司法試験での合格を目指しました。そんな矢先の新型コロナ。大学の自習室は閉鎖されたため、大阪の自宅に戻り、試験勉強を続けたといいます。年が明け、令華さんから連絡が―
令華さん「合格しました。おかげ様でありがとうございます」
2回目の挑戦で難関を突破しました。これからは令華さんが、母を支えます。
令華さん「いま本当に希望を持てない人たちが、希望を持てる社会にするために自分が何ができるのか考えていかないといけないなと。貢献していけたらいいなと思います」
2019年12月放送 NNNドキュメント’19
令華のまなざし ~DV家庭で育った私だから~(読売テレビ制作)を再編集しました