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パラスポーツを身近に メダリストの挑戦

2021年6月28日 18:37
パラスポーツを身近に メダリストの挑戦

■健常者を巻き込み、パラスポーツをもっと身近なものに

2014年にNPO法人「D-SHiPS32(ディーシップスミニ)」を設立した上原さん。パラスポーツが身近に感じられる環境の創造を目指して、障害のある子どもとその家族を対象に、幅広い支援活動を展開してきた。

「毎年夏には、一泊二日のキャンプを開催しています。例えば、お兄ちゃんが障害を抱えて、弟くんが健常者という家族の場合、一緒に遊びに出かけられる場所は、なかなかありません。だから私たちのキャンプは、障害のある子どもだけでなく、その家族も全員参加できるようにしています。ジャガイモを掘ったり、田んぼで泥まみれになって遊んだり。そういう思い出を家族みんなでつくってほしいんです」

障害のある子どもだけではなく、親の負担軽減にも力を注ぐ。親が子どもから離れて、自分の時間や障害のないきょうだいとの時間を作るためのサポート「おやぽーと」プロジェクトを展開するほか、去年からはのみ込みやすいように形態やとろみ、食塊のまとまりやすさなどを調整した「嚥下(えんげ)調整食」が必要な子どもたちの親を対象としたコミュニティ「スナック都ろ美」の運営をスタート。情報交換の場をつくることなどを通じて、家族みんなで食・外食を楽しめる世の中を目指している。

こうした支援を続ける一方で、上原さんは「当事者を支援しているだけでは、パラスポーツの普及は難しい」とも指摘する。パラスポーツがもっと身近な社会をつくるためには、多くの人を巻き込んでいかなればならない。

「そうした問題意識に基づいて開催しているのが、パラスポーツを体験できる『パラ大学祭』です。健常者の学生を巻き込んでいけるように、短大生・大学生・大学院生であれば、障害のあるなしを問わず、誰もが参加できるようにしています。若い彼らにパラスポーツを体験してもらうことは、きっと社会を変える力につながっていくと感じています」

■日本パラアイスホッケー界のエースとして、銀メダルを獲得

「二分脊椎」という先天性の障害を抱えて生まれてきた上原さん。その子ども時代は「車いすだけれど、誰よりもわんぱくだった」という。

「川にざぶんと飛び込んで魚をつかまえたり。とにかく毎日自然のなかで遊び回っていたから、家に帰る頃にはもうドロドロ。玄関先で服を脱いでお風呂場へ直行みたいな、そんな子ども時代でした」

小学生のときにピアノに出会うと音楽にも熱中。中学高校では吹奏楽部で、トランペットに打ち込んだ。アイスホッケーを始めたのは、大学2年生のとき。初めてリンクに立った日のことを、上原さんは今でも鮮明に覚えているという。

「昔、車いすバスケットをやったことがあるのですが、全然うまくできなくて。運動のセンスがないんだな、と思っていたんです。でも、アイスホッケーは最初から、すごくしっくりきて。パズルがぴたっとはまったというか、『自分はこのために生まれてきたんだ!』と思ったくらいです。その日からパラリンピックで金メダルを獲ることが、私の夢になりました」

まさに自分の進むべき道を見つけた上原さん。メキメキと上達し、競技歴わずか4年で、日本代表としてトリノパラリンピックに出場。この初舞台で日本人選手最多ゴールという快挙を達成。さらに2010年のバンクーバーパラリンピックでは、強豪カナダを相手にした準決勝戦で決勝ゴールを決め、銀メダル獲得に貢献した。

「私の選手人生のなかでカナダとは40試合以上対戦しましたが、勝つことができたのはあの試合だけ。大舞台での勝利をこの手で決められたことが、本当にうれしかったですね」

2012年には、アイスホッケーの本場であるアメリカにホッケー留学。その後の活動を決定づける、重要な出会いを果たす。

「昔から、日本でもパラスポーツができる環境をつくりたいと思っていたんです。海外に遠征に行く度に、日本以外の国では障害のある子どもでも当たり前のようにスポーツに打ち込む姿を見ていましたから。そんなときに、アメリカで、僕と同じように日本から訪れていた小児科医の先生と、たまたま意気投合して。『障害を持った子どもをサポートするために、日本に帰ったら何かしたいよね』という話になったんです」

2014年に帰国すると、早速D-SHiPS32を立ち上げ、現在へと至る。

■スポーツ体験を共有することが、「共生社会」へつながっていく

上原さんはパラスポーツを「障害者のもの」として捉えてはいない。

「スポーツは健常者にしかできないけど、パラスポーツは障害のあるなしに関わらずプレーできる。だから本来、誰もができるスポーツってパラスポーツなんですよ。だから『パラスポーツは、障害者のもの』という思い込みをひっくり返したい。

僕はパラスポーツを競技のひとつとして考えてほしいんです。例えば、バスケットかサッカーを選ぶような感覚で、バスケットか車いすバスケットを選んでほしい。実際に僕がいた当時でアメリカには90近くのパラアイスホッケーチームがありましたが、そのほとんどのチームに健常者が所属していましたからね」

パラスポーツを、もっと当たり前のものに。そのために、パラスポーツに取り組みたいと考える人々の目標になるような大会も企画していきたいという。そうした取り組みを通じてパラスポーツが生活に根付いていったら、社会はどのように変化するのだろうか。

「僕は“共生社会”は“共有社会”から生まれると思っています。同じ時間を同じ場所で過ごし、喜びや悔しさ、感動を共有することで、はじめて本当の意味での“共生社会”が実現すると考えるからです。そういった共通の体験を味わってもらうためには、スポーツは最高のツールです。パラスポーツが社会に開かれていくことは、誰もが生きやすい社会をつくることとつながっているんです。チェンジはチャレンジからしか生まれません。まだまだ課題は山積みですが、それさえも積極的に楽しみながら、さらなるチャレンジを続けていきたいですね」

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この記事は、日テレのキャンペーン「Good For the Planet」の一環で取材しました。

■「Good For the Planet」とは

SDGsの17項目を中心に、「地球にいいこと」を発見・発信していく日本テレビのキャンペーンです。
今年のテーマは「#今からスイッチ」。
地上波放送では2021年5月31日から6月6日、日テレ系の40番組以上が参加しました。
これにあわせて、日本テレビ報道局は様々な「地球にいいこと」や実践者を取材し、6月末まで記事を発信していきます。