世界初、iPS細胞で脊髄治療 医師に聞く
事故などで脊髄を損傷し、足などが動かない人は国内で約10万人。有効な治療法はありません。慶応大学は、そうした患者を、iPS細胞を活用して治療する世界初の臨床研究のため、患者の募集を始めました。研究の詳細を岡野栄之教授に聞きました。
慶応大学医学部の岡野栄之教授、中村雅也教授らの研究チームは、iPS細胞から神経のもとになる細胞を大量に作り、損傷した脊髄に200万個移植(注入)し、脊髄の再生を目指す臨床研究で、最初の患者1人を募集すると27日発表しました。18歳以上で、より高い効果が見込まれる脊髄損傷後2~4週間の人が対象で、主治医による応募が必要です。移植後、リハビリテーションも行い、安全性と神経の症状を約1年間観察するということです。
――臨床研究で1番確認したい点と段取りを教えてください。
主に確認するのは安全性です。もちろん有効性も、過去の脊髄の完全損傷の方と比較し、どれだけ効果があったか、脊髄機能のさまざまなスケール(ものさし)を使い、統計的に判断します。まず、患者1人を募集し、順調にいくか確かめて、2症例目をリクルートすることになっています。
――臨床研究は何年計画?
1、2年は予期していますが、こればかりはわかりません。
――今回、亜急性期(脊髄損傷後2~4週間)の患者さんが対象ですが、その後、慢性期(損傷後長期間)の方を対象にした臨床試験も行うのでしょうか。
慢性期に関しては、動物実験が比較的順調に進んでいます。慢性期の治療にむけては、移植する細胞をパワーアップさせること、細胞治療以外の治療法、リハビリテーションが重要です。リハビリテーションは、例えばHAL(ハル)という最新機器があり、急速に進歩しています。細胞のパワーアップに関しても、いろいろな方法を検討しています。その二つを組みあわせることは非常に重要です。
一方、この臨床研究は、他家移植(他の人の血液などから作ったiPS細胞をもとに作った神経前駆細胞を脊髄に移植)なので、(拒絶反応を抑える)免疫抑制剤が必要です。この問題をどうするか、世界的に技術革新が行われているところです。恐らく今よりもっと効率よく短時間に細胞を作製できるようになり、将来的には患者さん自身のiPS細胞から作った細胞による再生医療が可能になるんじゃないですかね。
亜急性期の患者さんには、2、3週間の間に神経のもとになる細胞を移植しなければならないので難しいですけど、慢性期の治療では「マイiPS」を用いるのも、あながち、不可能ではないと思っています。
――iPS研究の初期では、自らのiPS細胞を用いる想定でしたが、それだと神経のもとになる細胞を作るのに時間がかかるので、他人のiPS細胞から作って、保存されている細胞を使う、となったわけですが、さらに研究が進んで、本人のiPSから作った細胞を移植できる可能性がある?
そうです。他家移植といっても、iPS細胞ストック(多くの人に提供可能な、特別な白血球型の人から作ったiPS細胞を保管)を使っています。他家移植でも、HLA(白血球)型が一致するものを選べば、免疫抑制剤は減らすことはできる。ただし、今回の臨床研究では、HLA型の一致は特に求めていませんので、通常の他家移植で免疫抑制剤は必要です。
――今回、まひが完全な方が対象ですが、治療後、足などが少し動くようになる、あるいは歩けるようになる?
今回の対象は、感覚も運動機能も完全に損傷の方です。というのも、不完全損傷の場合、自然回復の可能性を秘めていることが過去の臨床研究でわかっています。そうしますと、細胞移植によって回復したのか、自然回復したのか、(判断が)難しい。
一方で、完全損傷の方に移植しますと、回復した分に関しては、細胞移植によるものである可能性が高いということが言えます。その分、著しい回復はなかなか難しい。損傷した脊髄の部分より下がまひするわけですけども、そのまひしている部分が、髄節1個でも2個でも上になったら治療効果があったとみなすことになると思います。
─少し感覚が戻るぐらいでしょうか?
あるいは、多少なりとも、筋肉を動かせるようになるとか、そういったことだと思います。
――広く受けられる治療法になるのはいつ頃?
いくつかの考え方があって、安全性が確認できましたら、比較的近い将来、慢性期の患者さんに対する臨床研究、あるいは治験を始めたいと考えております。そちらがある程度動いてくると、何年後ということが見えてくると思います。何年後という数字だけが1人歩きするのはいやなので、あまり申しあげたくはないです。
――まずは亜急性期の治療のみ実用化というよりも、慢性期を含む治療として広く普及することを目指すのでしょうか?
はい。そのようにやっています。慢性期に関しては、今動物実験の仕上げ段階で、近い将来に治験が始められるように準備はしております。
――亜急性期の臨床研究は、4人ではなくて、対象人数を増やしていくのでしょうか?
慢性期治療の開発の状況に応じて、それから今回の臨床研究の結果に応じて、考えていきたい。
――新型コロナウイルスの影響は
去年の12月1日に、今回のアナウンスをできる状態でしたが、我々の所属する医療機関のコロナ対応も、かなりひっぱくしていました。ようやく、今なら開始できると判断した。12月から半年遅れたわけで、新型コロナは、パンデミック(世界的大流行)によって、先端医療にも甚大な影響を与える感染症だということです。
――先生は脊髄損傷治療の研究を20年以上続けてこられ、いよいよ、ヒトでの研究段階になりました。
動物実験で脊髄損傷治療が成功してから、はや20年、動物実験と臨床との間のいろいろな溝は、死の谷と言われていますが、それを経験させていただきました。本当に臨床サイドからいえば、まだ1歩を踏み出すところで、治療の実用化は非常に大事なミッションだと思いますので、基礎的な研究の部分もさらにしっかりと進めて、より安全で、より有効な治療法を開発していきたいと思っております。
今回は、亜急性期の患者さんを対象に臨床研究を始めることができますが、脊髄損傷の患者さんの大部分を占める慢性期を対象に、さらに研究開発を進めていきたいと思っております。まずは第1歩、始めることに意義があったと思いますが、我々の研究開発はまだまだこれからでありますので、しっかりと取り組んでいきたいと思っています。