娘と再会果たせず…有本明弘さん(96)死去 北朝鮮に拉致された恵子さんの救出訴え続け
1983年に北朝鮮に拉致された有本恵子さん。娘の救出を訴え続けてきた父・明弘さんが15日に亡くなりました。96歳でした。同じ境遇の横田早紀江さんは「悔しいです、一目でも会えなかったか」と話しました。
15日、北朝鮮による拉致被害者、有本恵子さんの父・明弘さんが老衰のため96歳で亡くなりました。娘・恵子さんは、ロンドンに語学留学中だった1983年に北朝鮮に拉致されました。当時23歳でした。
願い続けてきた、一刻も早い娘との再会は果たされることはありませんでした。
“娘が北朝鮮に拉致された”という同じ境遇の中、ともに活動を続けてきた横田早紀江さんは…
めぐみさんの母 横田早紀江さん(89)
「やっぱり間に合わなかったと、まず思いました。かわいそうだなと。一目会わせてあげたいといつも思っていたから。これだけ頑張られたのにね、一目でも会えなかったかと。悔しいですよね。こんな大変な問題なのに、どうしてちっとも前に進んでいかないのだろうと、残念な思いを持って天に召されたんじゃないかと。本当に残念です」
消息がわからなくなっていた恵子さん。北朝鮮にいるとわかったのは、失踪から5年後の1988年のことでした。同じく北朝鮮に拉致された石岡亨さんが実家に宛てた手紙に、有本さんとともに北朝鮮の平壌で暮らしていると書かれていたのです。
この手紙をきっかけに、恵子さんの救出を訴え始めた明弘さんと妻の嘉代子さん。当初はまだ、多くの国民が「北朝鮮による拉致」を信じておらず、拉致は“疑惑”とされていた中、2人はいち早く立ち上がったのです。
その後、2002年の日朝首脳会談で北朝鮮は恵子さんの拉致を認めましたが、すでに亡くなっていると説明。しかし、有本さん夫妻は、恵子さんの生存を信じ、訴えることをやめませんでした。
恵子さんの父 有本明弘さん(2014年)
「私らがずっと辛抱強く頑張って、我慢に我慢を重ねてひたすら署名運動している」
懸命の活動を続けてきた中、妻の嘉代子さんは2020年に94歳で亡くなりました。その後も明弘さんは、車椅子での移動を余儀なくされる中、集会や総理大臣との面会のたびに上京していました。
めぐみさんの母 横田早紀江さん(89)
「親心というか一筋ですね。このこと(拉致問題)だけはなんとかしなきゃという思いで。危ないから無理しないでと。でも早くから電車に乗って遠いところを必ず出席して。車椅子になっても皆と一緒に訴えたい思いがあったと思う」
明弘さんが亡くなったことで、帰国を果たせていない政府認定の拉致被害者の家族で、存命の親世代は横田めぐみさんの母・早紀江さん1人となりました。
明弘さんの姿を見てきた家族は…
長女 北谷昌子さん(68)
「固い決意で父も母も拉致問題に取り組んでいました」
長男 有本隆史さん(62)
「拉致された恵子を取り戻すため運動を続けてきた父が、恵子との再会を果たすことなく亡くなったことは残念でなりません」
日本で待つ家族が、被害者に会えないままに亡くなる悲劇が繰り返されてはならない。焦りが日に日に募る中、家族らは、「家族の親世代が存命のうちにすべての拉致被害者の帰国を」と繰り返し訴え続けてきました。
めぐみさんの母 横田早紀江さん(89)
「(親世代が)もう2人しか残っていなくて、いつも2人名前が挙げられていたのがいよいよ1人になっちゃった。むなしい思いをしていますし、私ももうどうなるかわからない。こんな大変なこと解決してくれないんだって思いをみんな持ってるので、日本の政府の動きがなんでこんなふうにのんびりしてるんだろう、そういう思いが強くなってます」
日本政府には、家族の切実な思いにこたえる具体的な行動が求められています。