天皇陛下 平和への思い 沖縄復帰50周年「終戦の日」へ
15日は、令和4年目の終戦の日です。沖縄が日本に復帰して50年を迎えたことしは、天皇陛下にとっても特別な思いで迎えられる夏となりました。陛下の平和への思いとは。
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5月におこなわれた沖縄復帰50周年記念式典。
天皇陛下「本土復帰の日、中学1年生であった私は、両親と一緒にニュースを見たことをよく覚えています」
沖縄でこの言葉を感慨をもって聞いた人がいます。歴史学者・高良倉吉さん。
琉球大学 名誉教授・高良倉吉さん「両親と一緒に見たんですと、あえておっしゃったわけですから、その中に込められたメッセージの意味は深いんですよ。『私は(両親と)心をひとつにして沖縄に向き合う共同作業をしている』と」
高良さんと陛下との出会いは1987年、陛下が初めて沖縄を訪問された時でした。
太平洋戦争末期、住民を巻き込んだ沖縄戦。本土復帰後も沖縄では皇室への複雑な感情が根強く残りました。
陛下が、まず向かわれたのは、激しい地上戦が繰り広げられた南部の戦跡。真剣なまなざしで人々の話を聞き、その後、コメントを出されました。
天皇陛下(当時27)「沖縄の人々は先の大戦を通じて、“命(ぬち)どぅ宝”の思いをいよいよ深くしたと聞きましたが、この平和を求める痛烈な叫びが国民すべての願いとなるよう切望しています」
「ぬちどぅたから」とは「命こそ宝」という意味の沖縄の言葉です。当時、県の博物館の学芸員だった高良さんは、訪問初日の夜、同僚たちと陛下の宿舎に招かれました。
高良さん「お酒を酌み交わしながらいろいろな懇談をしたんですよ。ややリラックスした形で、いろいろな質問をしたり話題にしたり」
陛下は、専門用語で質問するなど、沖縄の歴史や文化について事前に学び、理解されてきたことがよく分かったといいます。
高良さん「自然体でしたけれども、沖縄をたくさん吸収したい、沖縄に自分の手を広げて、そういう向き合い方だと感じました」
その後も、陛下は沖縄へ4回訪問。必ず最初に戦没者慰霊をし、沖縄の歴史と向き合われてきました。
そして今年、天皇として迎えた沖縄の節目の日、再び使われたのはあの言葉でした。
陛下「大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において、人々は『ぬちどぅたから』(命こそ宝)の思いを深められたと伺っていますが、その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ、この式典に臨むことに深い感慨を覚えます」
命こそ宝。そして…
陛下「沖縄には今なお様々な課題が残されています」
こう話し、広く国民の理解が深まることを希望されました。
高良さん「まだまだ課題があるということをしっかりと確認すること、沖縄県民含めて日本国全体で理解し、力を合わせて課題に向かって進んでいきましょうと、ひとつのメッセージだったと思います。とても平易な言葉ですが、深い意味が込められていたと思いますね」
沖縄の豊かな未来を願われた天皇陛下。15日、戦後77年の追悼式に皇后さまと臨まれます。