×

天皇陛下“憧れ” 長嶋茂雄さんに文化勲章

2021年11月14日 9:56
天皇陛下“憧れ” 長嶋茂雄さんに文化勲章

11月3日に行われた文化勲章の親授式。天皇陛下は受章者の読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんに「懐かしく思います」と話しかけられました。陛下と長嶋さんの関わりの歴史について長年、皇室取材に携わってきた日本テレビ客員解説員の井上茂男さんに聞きました。

■天皇陛下“幼き日の憧れ”長嶋茂雄さんに文化勲章を手渡される

文化の日の11月3日、皇居で文化勲章の親授式が行われました。今年の受章者は、読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さんや歌舞伎俳優の尾上菊五郎さんら合わせて9人で、天皇陛下から出席した6人に文化勲章が手渡されました。陛下は、「長年、努力を重ね、大きな業績をおさめ、文化の向上に尽くされたことをまことに喜ばしく思います」と述べ、その後ひとりひとりに言葉をかけられました。陛下は長嶋さんの試合を後楽園球場で見たことがあり、「懐かしく思います」と話しかけられていました。

――井上さん、こちらのニュースをどのように聞かれましたか? 

陛下と長嶋さんとの関わりの歴史を感じました。

■天皇陛下 初めてのユニホームは長嶋さんにちなんだ背番号「3」

こちらは陛下の11歳の誕生日の時の映像です。巨人軍のユニホームに身を包み、バットを振る場面です。この時は背番号38。長嶋選手らと共に「V9時代」を作った末次選手の背番号で、陛下も当時の子どもたちの多くと同様に巨人ファンだったことがうかがえます。

――陛下のユニホーム姿、大変貴重ですね。

陛下は、小学校2年生のころに上皇さまとキャッチボールを始め、やがて、日曜日に友だち数人を御所に招いて、野球を楽しまれるようになります。友だちはみんな新しいユニホームを用意してやって来るので、陛下はそれがうらやましくてしかたなかったそうです。当然、欲しがった訳ですが、「ご両親はすぐ買い与えるのはよくない」と、クリスマスプレゼントまで待つように言い、ようやくユニホームを手にされたんです。画像では背番号38ですが、最初のユニホームは3番でした。この最初のユニホームは、浜尾実元東宮侍従の著書によると「背番号はジャイアンツの長嶋選手にちなんで3番であった」と書かれています。

■陛下の前で長嶋さんの決勝2ランホームラン

また、陛下は1970年、小学5年生の時、友達と一緒に当時の後楽園球場で日本シリーズ巨人対ロッテの第3戦を観戦されました。この試合で、長嶋さんが決勝の2ランホームランを放ち、陛下は大喜びされました。先日の親授式の「懐かしく思い出します」という言葉の奥に、その試合の光景があるのではないかと思います。

その長嶋さんとの縁で言えば、独身時代の1992年12月8日夜、陛下は学習院大の教職員らと忘年会で訪ねた東京・目白のおでん屋で、偶然、長嶋さんと行き会い、20分ほど野球の話をされたことがあります。長嶋さんはたまたま知り合いに連れられて来店し、陛下がいらっしゃることを知って挨拶に立ったんです。陛下は翌年のペナントレースの行方をお尋ねになり、長嶋さんは熱く語ったそうです。当時、取材して記事にしたことを懐かしく思い出します。

――古くから親交のある長嶋さんに今回、文化勲章を渡され、きっと感慨深いものがあったんではないかと感じます。

お二人のどちらにも感慨深いものがあったんだろうと思います。

【井上茂男(いのうえ・しげお)】
日本テレビ客員解説員。皇室ジャーナリスト。元読売新聞編集委員。1957年生まれ。読売新聞社で宮内庁担当として天皇皇后両陛下のご結婚を取材。警視庁キャップ、社会部デスクなどを経て、編集委員として雅子さまの病気や愛子さまの成長を取材した。著書に『皇室ダイアリー』(中央公論新社)、『番記者が見た新天皇の素顔』(中公新書ラクレ)。