拉致解決を最後まで訴え続け…飯塚さん死去
北朝鮮による拉致被害者・田口八重子さんの兄で、家族会の代表を務めてきた飯塚繁雄さんが18日、83歳で亡くなりました。拉致問題解決のため、最後まで最前線で活動を続けましたが、その思いはかないませんでした。
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18日、83歳で亡くなった拉致被害者・田口八重子さんの兄、飯塚繁雄さん。
田口八重子さんの兄・飯塚繁雄さん(83)
「なんとしても、この問題を解決していかなきゃならない」
先月、岸田首相も出席して行われた集会での必死の訴えが、家族会代表として最後の姿となりました。
妹の八重子さんは1978年、幼い2人の子どもを残し、突然行方が分からなくなりました。飯塚さんは、1歳だった八重子さんの長男・耕一郎さんを引き取り、育ててきました。
「田口八重子さんが北朝鮮にいる」という情報がもたらされたのは、1990年でした。北朝鮮の元工作員で大韓航空機爆破事件の実行犯だった金賢姫元死刑囚の証言でした。
金賢姫元死刑囚
「私が一緒になって日本語教育を受けた李恩恵という女性は、日本から来た日本女性です」
その日本人女性こそが、八重子さんだったのです。
北朝鮮は2002年の日朝首脳会談で、田口八重子さんら日本人8人の拉致を認め、謝罪しました。しかし、北朝鮮側からの説明には矛盾点が多くありました。当時、飯塚さんは会見で、「(北朝鮮から)死亡という報告があったんですけど、私はこれは信じておりません」と述べ、八重子さんの兄と名乗り出て、救出活動を始めました。
2007年には、横田めぐみさんの父・滋さんから引き継ぎ、家族会代表に就任しました。そして、2009年には、妹が北朝鮮にいると証言した金賢姫元死刑囚と面会しました。
さらに2010年、金元死刑囚が来日しました。
当時、「news every.」に出演した飯塚さんは「『(八重子さんは)生きていますよ』っていう言葉の裏には、確たる情報を持っていると思っているんです。単なる慰めじゃなくて」と話していました。
“妹を必ず取り戻す”。しかし、飯塚さんの願いもむなしく、拉致問題に目立った進展はなく、家族との再会が果たせないまま亡くなっていく仲間を次々見送ってきました。
去年、横田めぐみさんの父親・滋さんが亡くなった時には、飯塚さんは「こうなる(再会できないまま家族が亡くなる)ことが当たり前なんですよ。何もしないで過ごしてきた結果が、これなんですよ」と、珍しく怒りをあらわにしました。
ここ数年、入退院を繰り返していた飯塚さん。体がつらくても、妹のために活動をやめようとはしませんでした。
4月には、「我々は絶対にあきらめていないという態度を続けていきたいと」話していた飯塚さんですが、体調が悪化し、今月11日に家族会代表を退任。18日、83歳で亡くなりました。
拉致被害者との再会を果たせないまま、家族が亡くなっていく現実。拉致被害者家族会・横田拓也代表も「命のかかっている問題なので、一刻を争う問題なので、具体的にかつ、速やかにこの問題解決のために外交交渉をしてほしい」と危機感を訴えています。