【NNNドキュメント】顔の"あざ"と将来の夢 19歳になった岩川雅治さんの生きる道 NNNセレクション
岩川雅治さんは血管の難病によって、生まれた時から顔に大きな「あざ」があります。あざを隠したいと思った小学生時代、あざに向き合っていくと決めた中学時代…。抱いた夢は“医者になって苦しむ子どもたちを減らしたい”。そして19歳、雅治さんが下した人生の決断は。
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「あざがある自分が、岩川雅治なんだ」
あざと、ともに生きてきた…。それが僕の人生。
5万人から10万人に1人とされる「スタージ・ウェーバー症候群」という難病。
あざを薄くするためのレーザー治療は大嫌い。
4歳の頃。
園児
「ほっぺたも赤くなっているよ。おめめも」
園児
「なんでここ付いてるの? ぶつかったの?」
雅治さん
「ここだよ。ここも」
母は心無い言葉をかけられたこともありました。
母・智恵さん
「見知らぬ老夫婦が『顔にやけどをさせるのは、母親としては失格だ』と。『あんたは母親になる資格がない』と言われたんです。その場から消え去りたいという思いが強くなりました」
顔のあざとどう向き合っていくか、小学校では少し悩んでいました。人が多いところに行くときには、ファンデーションであざを隠したい。
父・耕治さん
「いろんな場面で周りからの心ない言葉は、必ず浴びざるを得ない。そういうことがあっても、心が折れない芯の強さというか、深みを持った人間に育ててあげることがこの子には必要だなと思っていたので」
2017年3月。小学校の卒業の日。僕は心に芽生えた思いを、みんなの前で明かしました。
雅治さん
「僕は将来、医療系の仕事に就きたいです。難病で苦しんでいる人を助けてあげたいです」
僕が抱いた未来。
高校生活は、新型コロナに見舞われましたが、医者になる夢は揺らぎませんでした。
雅治さん
「私は医学部医学科に入学し、小児科・内科・心療内科の分野に力を入れていきたいです。今度は、私が医師の立場となり、同じように苦しむ子どもたちを救える医師になりたいと思い、この学科を志望しました」
2022年6月。付属校から医学部へ内部進学する、試験結果が発表される日。
雅治さん
「内定しました」
母・智恵さん
「内定した。良かったね。やっとだね。おめでとう」
父・耕治さん
「親の目から見ても努力していたと思うので、それが報われた形になって、よかったんじゃないかと思います」
雅治さん
「医学部に行って、国家試験受かって、(医師になって)お金をちゃんと返しますので、6年間お金を出してください。お願いします」
母・智恵さん
「頑張りましょう」
2023年1月。まもなく高校卒業の教室で。
雅治さん
「ひとこと言っていい? みんなの素顔を知らないっていう、まだ」
あざは隠さないと決めていたのに、マスクをしなければならなかった3年間。
大学がある神奈川県へ引っ越す前の晩。家族や親しい先輩と食卓を囲みました。
母・智恵さん
「小さい子とかに(あざのことを)言われると、しょげるでしょ?」
雅治さん
「1年ぶりくらいに不意打ちがあったんですよ。『やけどした?』みたいに言われて」
2023年4月。医学部の入学式。新しく始まる大学生活。顔のあざは隠しません。
しかし、入学から2か月後。
雅治さん
「ついていけなさすぎて、なんか…。もう正直、やり直したいなと思います。医師になりたいとは漠然と言ってますけど、まあ、なんなんでしょうかね」
9月、僕は大学を辞めました。
雅治さん
「自分が進みたい道は、やっぱり物理・数学の道だった。6月ぐらいから自分の思いの中にあった、理系の方に進学したかったという思いが、抑えられなくなっていって…」
夢がいつの間にか、夢じゃなくなっていました。
雅治さん
「中学1年のころから、医者になりたいと言っていたのは事実ですし、そこに対して多くの方が期待してくださって、諦めるというか別の道に進むことが、自分勝手でやってはいけないことだと、自分の中では認識していて…」
今はオンラインで塾講師のアルバイトをしながら、別の大学進学を目指しています。
雅治さん
「自分の人生の決断の中に、全て『あざ』というものはあって。たぶんあざが無かったら違う人生になっていたんだろうなと」
岩川雅治、あざと生きていく。
2023年10月22日放送 NNNドキュメント’23『あざと生きる 僕の夢、19の決断』をダイジェスト版にしました。