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映像で振り返る戦後の秋田

2024年8月15日 18:00
映像で振り返る戦後の秋田

終戦から79年が経ったことで当時を知る人が減り、戦争の記憶の風化が進むことが危惧されています。年代ごとに追悼や慰霊の形がどのように変わってきたのか。ABSのテレビ放送が始まる前のフィルム動画を含めてカメラが映し出した戦後の秋田を振り返ります。

県政ニュース 追悼式1958(昭和33)年

「祖国のため命を失った3万5000柱の霊を慰める全県戦没者追悼式がこのほど秋田市山王体育館で厳かに行われました」

終戦から13年後の昭和33年=1958年に秋田市で開かれた戦没者追悼式。この日集まった遺族の数はおよそ2500人で、この年は遺児の代表が追悼の言葉を述べました。

遺児代表の言葉
「殉国の御霊よ どうか絶対戦争のない世の中となりますようお守り下さい。わたくしもお父さんのように立派に、お母さんのように我慢強く、社会の荒波に打ち勝って力強く生きていきたいと思っております」

「思いも新たに亡き人々を偲ぶ遺族たち。やがて秋田北高校生徒によって冥福を祈る御霊をたたえる歌が清らかに合唱されて追悼式の幕を閉じたのです」

1964(昭和39)年

その6年後の昭和39年=1964年に行われた秋田市にある護国神社の例大祭です。境内は大勢の女性たちで埋め尽くされていました。

「参列するのはほとんど戦没者の妻ですよ。最愛の旦那をなくしていますから」


こう語るのは半世紀近く県内の遺族会にかかわってきた秋田県遺族連合会の田口昭益事務局長です。

■例大祭70年
大黒柱を失った戦後大変な苦労をして生活してきた戦没者の妻たち。県内には当時およそ5200人がいましたが現在は16人まで数を減らしています。

秋田県遺族連合会 田口昭益事務局長
「戦没者の妻は全て100歳以上、そしてすべての方が(施設に)入所しているか介護を受けています」

70~80年代

1970年代から80年代にかけて県内では慰霊碑の建立が相次ぎました。

戦後県内で建立された慰霊碑はわかっているだけでおよそ180基。その多くは平和を願い続ける戦友たちの手で建てられました。

発起人(雪部隊親交会)
「戦争が悲惨だということは我々は本当に身をもって体験しております。これは終生の願いでございまして、この慰霊碑ができましたことでやっと安心して我々も忠霊の後を追えるというような感じでこざいます」

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