×

【深層ルポ】記者が原子炉の下で感じたこと 廃炉・“処理水”放出の現場は今…福島第一原発

2023年11月3日 10:50
【深層ルポ】記者が原子炉の下で感じたこと 廃炉・“処理水”放出の現場は今…福島第一原発
制御棒を動かす装置が上から無数に突き出る5号機の圧力容器の下(手前は筆者)
未曾有の原発事故から12年。東京電力の福島第一原発では今も廃炉に向けた作業が続けられている。
燃料デブリが堆積する原子炉の下はどのような構造なのか。
中国と韓国に赴任し、事故に対する現地の反応を目の当たりにしてきた筆者が、原発内部に入って感じたこと、そして、“処理水”の海洋放出の現場は今…。
(報道局デジタルグループ、前NNNソウル支局長 原田敦史)

■帰還困難区域に並ぶ“廃屋” 一方で槌音も…

常磐自動車道で福島県の浜通りを通過していくと、次第に「除去土壌等運搬車」と書かれたステッカーを貼った“除染”で出た土を運ぶトラックとすれ違うようになっていく。空間線量を示す電光掲示も目に入るようになってきた。

9月下旬、私たちが向かっていたのは、東京電力の福島第一原子力発電所。以前から希望していた原発内部の取材を兼ねた視察を行えることになったのだ。

周辺の帰還困難区域になっている地域の家々は、瓦が崩れ、雑草が生い茂ったままの状態。
それでも去年(2022年)にJR大野駅周辺などで避難指示が解除され、以前、この地域に来たときよりも営業再開した店や改修工事を行っている建物なども増えた印象だった。

車で海に向けて走ると、多くの人々が出入りする比較的新しい建物が目に入ってきた。
福島第一原発の新事務本館、廃炉作業の拠点として2016年に完成した建物だ。原発内部への視察は、この場所から始まることになる。

■中国と韓国への赴任で感じた原発事故への厳しい反応

筆者は、2011年3月の東日本大震災当時は、東京の本社でニュース番組のディレクターをしていたため、福島、宮城、岩手などへの取材は幾度となく行ってきた。しかし、直後は取材の制約が大きかったこともあり、福島第一原発そのものに入る機会はなく、今回が初めてだ。

原発事故の翌年からは、特派員として中国・北京に約4年赴任(2012~2015年)、いったん帰国して政治部など国内の報道に携わったあと、直近までの約4年(2019~2023年)、韓国・ソウルにも赴任していた。
中国と韓国は、日本と地理的に近いこともあり、日本からの水産物の輸入規制を行うなど、厳しい対応を継続。今年8月に始まった“処理水”の海洋放出をめぐっても、両国では官民様々なレベルで反対の動きが起きていた。そうした反応を肌身で感じてきたこともあり、海洋放出が進むこのタイミングできちんと自分の目で現地の様子を見ておく必要があると感じていた。

■原発施設の内部へ 想像を超える厳重な警備

構内への入り口になっている「入退域管理棟」で身分証明書を出すと、警備担当の係員が事前申請していた書類と照らし合わせ、何度も、何度も名前と住所、顔を確認する。しばらく待つとようやく、この先のゲートをくぐるためのカードを手渡された。
この先は、携帯電話やカメラ、カバンなどほぼすべての私物を持ち込むことはできない。そのため、記事中の写真のほとんどは事後、提供されたものを使用している。
ゲートの中に入り、目の前の機器に指を入れ、静脈認証を行う。このとき、ゲートの間に閉じ込められた形で何重ものチェックを受け、ようやく内部に入ることができた。想像以上の警備の厳しさだった。

経済産業省資源エネルギー庁 木野正登参事官
「厳しいでしょう。だけど、これは核を取り扱うどの施設も同じですよ。」

案内をしてくれたのは、経済産業省資源エネルギー庁の木野正登参事官。発災後から12年以上、福島で対応にあたる原子力のエキスパートだ。
警備の厳しさは、原発事故とは関係なく、核燃料が保管されている施設ゆえ、テロ対策が必要だからだという。
木野さんの胸には複数のIDカードが胸にぶら下がっているが、これも警備上あえて施設ごとにIDカードを分けているとのことだった。構内のあちこちに貼られた「核セキュリティの文化醸成」と書かれたポスターも、ここが特殊な場所であることを物語っていた。
先に進み、内部を視察するのに必要な装備を受け取る。全身を覆う防護服、靴下3セット、ゴム手袋2セット、綿手袋、軍手、帽子、マスク、ベスト。以上は、すべて使い捨てのものである。さらに、エリアごとに使い分けるゴム靴と、ヘルメット、放射線を測定する線量計も使う。
ただ、防護服はあくまで放射性物質で汚染された粉じんなどが付着することを防ぎ、それを外部に持ち出さないようにするためのもの。放射線そのものから、身体を守ってくれるものではない。

また、今回は内部被ばくの有無を調べるため、視察の前後で体内の放射性物質からの放射線を計測する「ホールボディカウンター(WBC)」という装置も使用した。1分間、イスに座った状態で、もともと体内に存在する放射性カリウムなどから出る放射線を測定する。筆者の場合は、視察の前後とも1分間で約1400カウント。一般的に500~2000カウント程度だという。

ちなみに、一連の準備を行った「入退域管理棟」の隣には、2015年に完成した「大型休憩所」がそびえ立つ。作業員のための食堂や休憩施設のほか、構内で唯一のコンビニエンスストアがある場所でもある。
到着して、およそ1時間。ようやく内部に入る準備が整った。

■海面に“掘り下げられた”原子炉の立地 使われた重機も…

福島第一原発の敷地は約350万平方メートル、東京ドーム約75個分に相当する。その広大さゆえ、敷地内でも移動に車が必要だ。
用意された車に乗り込むと、シートはビニールに覆われ、汚染物質が付いたときにもすぐに張り替えられるようになっていた。走り出すと目に入ってきたのは、一角に置かれている赤いステッカー付きのナンバーがない多くの車。

木野参事官
「あれは事故当時から使われていた車ですが、すでに汚染されているため外に持ち出すことはできません。事故後、敷地内に車の整備場も造られ、しばらく使われていましたが、もう使っていない車も多いですね。」

中には、大型の建設機械も-。黄色の車体に赤いアームが備わったコンクリート圧送車は、当時「キリン」などと呼ばれていたもので、事故当時、使用済み核燃料プールからどんどん水が蒸発していた危機を救った車両の1つ。今も、ひっそりと敷地内に置かれていた。

しばらく東に進むと、太平洋が見えてきた。その手前には、クレーンなどがかかる原子炉建屋が並ぶ。車から降りて、丘の上から見下ろすような形になる。
原子炉建屋との間を遮るものはなく、すぐ目の前、50メートルほど先。原子力発電所の規模感を感じるとともに、「近い…」と緊張感を覚えた。
写真で見て分かるとおり、我々は“軽装”である。線量は十分に安全な基準。しかし、「長時間の滞在は避けるように」との注意書きも掲示されていた。

木野参事官の説明によれば、この場所はもともと旧日本軍の飛行場があったが、戦後に塩田として使われていた。
海抜30メートルの高さがあったが、強固な岩盤に原子炉建屋などを設置するため、海抜10メートルまで掘り下げたという。その場所に立ち、その約20メートル高低差を目のあたりにすると、「非常用電源などが海抜30メートルの場所にあれば…」と思わずにはいられなかった。
実際、高台の上の構造物は、水素爆発の影響で壊れたものはあるが、津波による被害は免れている。

■むき出しの鉄骨も… メルトダウンが起きた原発の今

首都園に電力を供給してきた福島第一原発には6基の原発がある。あの日、稼働していたのは1号機から3号機。4号機から6号機は定期検査中だった。
1号機から3号機は津波の被害を受けて冷却装置が停止。核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起きた。
発生した水素が建物の上部にたまり、1号機と3号機、それに3号機から水素が流れ込んだ4号機でも水素爆発が起きた。

最初に水素爆発が起きた1号機の上部は、今も鉄骨だけがむき出しになっている。上部では大型のクレーンが稼働し、今後は建屋全体を覆う大型カバーを設置してガレキ撤去などが進むという。
同じく水素爆発が起きた3号機の上部は、“カマボコ”のような形の構造物で覆われている。上部を覆った上で、2019年から使用済燃料プールからの燃料取り出し作業を開始し、2021年にすべての使用済み燃料を建屋外に取り出すことに成功している。

一方、それらの間に位置する2号機は水素爆発が起きず、建屋はほぼ原形をとどめている。しかし、実はこの2号機こそが、最も多くの放射性物質を漏洩して周辺の汚染を引き起こしたと、木野参事官は説明する。
2号機では、隣の1号機の爆発の衝撃で、偶然にも建屋のパネルの一部が開いた。そのため、水素が外部に排出され、爆発が回避された。しかし、1、3号機では格納容器内の気体をいったん水に通してある程度、放射性物質を取り除いてからベント(放出)ができたのに対し、2号機ではベントができず、直接、格納容器から放射性物質が漏洩したのだ。

1、2号機の間には、上半分が不自然にカットされた排気筒があることに気づく。
この排気筒は、格納容器の圧力を下げるベントの際に排気が通ったため、放射線量が高い。雨水の浸入による汚染や倒壊の恐れがあることから、2019年から2020年にかけて遠隔での解体工事が進められたという。今では上部がフタで覆われていた。
木野参事官によれば、排気筒の周辺は原子炉建屋の外で“最も線量が高い場所”。今も、ほぼ手つかずのまま草が生い茂っていた。

ちなみに、この1~4号機の周りには、汚染水が増える原因となる地下水の流入を抑えるための「凍土壁」が設置されている。
建屋全体を囲むように約1500本のパイプを深さ30メートルまで打ち込み、そこにマイナス30度の冷却液を循環させて地盤を凍らせることで、地下に長大な氷の壁が作られている。当初は効果を疑問視する声もあったが、他の対策も含めて、汚染水の発生量は1日90トン程度に減り、一時期の約5分の1まで抑えているという。

■5号機の内部へ 青白くゆらめく燃料プールの核燃料棒

今回の視察では、事故が起きた1~3号機とほぼ同型で、事故を免れた5号機の内部にも入ることを許された。
原子炉への通路は、白っぽい無機質な色合いで、案内がなければ自分がどこにいるのかさえ、わからなくなる感覚だった。

まず、建屋の上部にある使用済み核燃料プールへ。透明な水の中でおびただしい数の核燃料棒が青白く揺らめいていた。5、6号機も廃炉が決まり、今後、運び出されることになるが、まだ、約1500本もの核燃料が保管されている。

木野参事官
「浅く見えると思いますが、プールの深さは11メートル、燃料棒が4メートルなので、上に7メートルの水がある状態です。この水が核燃料を冷却して、放射線を遮断しているわけで、水がなかったら我々は一瞬で被ばくしますよ。」

この段階では、我々はまだ防護服も着ておらず、ほぼ“むき出し”の状態で視察を行っている。胸元の線量計も、十分に安全な数値を示していた。

ただ、この先の格納容器内部では、準備した防護服や手袋、靴下などをすべて装着する。損傷はないが、線量が高い部分もあるためだ。
布製とはいえ防護服を着て、マスク、ヘルメットまで着用すると、とにかく暑い。この日は、気温28℃前後だったが、それでもすぐに汗が滴って来た。真夏の炎天下での作業では、アイスパックを防護服の下にいくつも入れるというが、それでも重労働であることは想像に難くなかった。

格納容器の内部は、頭上や足元にさまざまな配管や機器があり、思うように動けない。核燃料が入っていた「圧力容器」の真下にある作業スペースに入ると、核燃料の間に挿入して原子炉の出力を制御するための制御棒を動かす装置がぶら下がり、何度も頭をぶつけそうになった。

事故があった1~3号機では、ここに核燃料が溶け出したデブリがあり、取り出しに向けた調査のため、新たに開発されたロボットアームが使われる。構造が似ている5号機は、そのテストやシミュレーションに使われているという。
遠隔で操作するロボットアームを差し込むのは、メンテナンス用の開口部だが、直径50センチほどしかなく、想像以上に狭い。
そして、10月13日、東京電力は2号機について、この開口部のハッチを開ける作業に着手し、16日に全開したと発表した。写真では黒っぽくさび付いたボルトが切断され、金属の蓋が開かれた様子も写る。公表されたこの写真を、自分で見た5号機のあの狭いハッチと、重ね合わせるようにして見ると、その作業の困難さは容易に想像できる。

2023年度後半には、2号機から試験的に燃料デブリを取り出す。
1号機から3号機の内部には合計880トンの燃料デブリがあると推定されているが、2号機の試験的な取り出しで回収できる量は数グラム程度。ただでさえ狭く、複雑な構造である。さらに、放射線量がとてつもなく高く、破壊された格納容器内部から、大量のデブリを取り出すには途方もない時間と労力が必要だと、気が遠くなる感覚になった。

■実は津波後も稼働していた1台の非常用発電機 しかし…

外に出て5、6号機の周辺を車で移動していると、木野参事官が1つの建物を指さした。

経済産業省資源エネルギー庁 木野正登参事官
「あれは、6号機の非常用ディーゼル発電機ですが、これだけは少し高い場所にあったために津波で冠水せずに機能していたんですよ。よく、SBO(ステーションブラックアウト、全交流電源喪失)だったと言いますが、実は1つだけ発電機が残っていたんです。」

“この電力を1~4号機に融通できなかったのか…”と考えてしまうが、そもそもこの6号機の非常用発電機から、事故が起きた南側の4基の原発に送電する設計にはなっていなかった。また、発電機の出力などを考慮すると、この1台で1~6号機すべての原発をまかなうのは難しかったとみられる。
しかし、この非常用発電機が機能していたおかげで、5、6号機の使用済み燃料プールの冷却などが継続できたことを考えると、有事を想定した非常用電源の設置場所などがいかに重要かを思い知らされる。

■進む“処理水”の海洋放出 立ち並ぶタンク

福島第一原発に関連して、今年最も注目されたのは、“処理水”の海洋放出だろう。
おびただしい数のタンクは1000基以上。総容量はおよそ137万トンに及ぶ。

核燃料を冷やすために入れた水や、流れ込んだ地下水が放射性物質に汚染され、発生し続けている汚染水。これを、多核種除去設備、通称「ALPS(アルプス)」で大半の放射性物質を取り除いている。
ただ、木野参事官によると、実は放射性物質の除去が十分にできず、まだ基準を満たしていない“処理途上水”の状態のものが約7割だという。これらは、再度ALPSにかけて、基準を満たした“処理水”にする必要がある。

海洋に放出する“処理水”は、無数に並ぶタンクとは少し離れた場所に分けて保管され、事前の成分分析などが行われる。“処理水”はALPSでは取り除けない放射性物質「トリチウム」(三重水素)を含むが、海水で薄められ、国の基準の40分の1の濃度にして、8月から海洋に放出されている。

処理水はタンクから海水と混ぜ合わせる「立坑」という水槽までパイプを伝って運ばれるが、このパイプは思っていたよりもずっと細かった。ドバドバと流すのではないかという自分自身が抱いていた勝手なイメージとは異なり、実施は量を限定して、少しずつ海水と撹拌して放出している状態だ。
視察したのは1回目と2回目の海洋放出の合間で、周辺の施設では作業員らが点検などを行っている。水は海底トンネルの中を通って沖合1キロの地点で放出されるが、今は特に沖合に構造物はなく、はっきりと放出場所はわからなかった。

中国と韓国も、自国の原発から大量のトリチウムを含む水を排出している。それなのになぜ、福島の処理水放出に強く反発するのかを中韓の人々に尋ねると、ほぼ共通して返ってくるのは、以下のような反応だ。

“事故が起きた原発から出てる水だから、通常運転してる原発の水とは異なる”

彼らの多くはALPSが完全に放射性物質を除去できないことも知っているし、“処理途上水”が多くあることも知っている。また、心理的な側面も大きく、政治的な扇動も影響している。それらを理解できないわけでは無いが、日本側としては十分な検査と科学的根拠で反論し、丁寧に説明を続けていくしかないだろう。

ALPSの施設の前で、実際の“処理水”が入ったボトルを手に持たせてもらった。透明なごく普通の水である。線量計を当てても、針は振れず、何の反応もない。
一方で、この状態にするためにALPSでは入念な処理が行われているわけだが、そのフィルターや沈殿物は当然、放射性物質が濃縮された危険な放射性廃棄物になる。
これらも日々、大量に発生しているため、その処理や保管場所の確保は新たな課題になっていくだろう。
地下水の流入を減らせているとはいえ、完全に遮断できていない以上、発生し続けている汚染水の処理をこの先も延々と継続していかなければならない状況なのだ。

■“手仕舞い”に費やされる途方もない労力・予算

視察を終えると、使い終わった防護服や靴下、手袋などはそのまま処分する。特に5号機内の視察後には、三重に着用した靴下や手袋をエリアごとに外して捨てていく必要があった。
積算の線量は30マイクロシーベルト。これは1回のX線検査の半分程度だ。ただ、場所によってはより高い線量の中、作業が必要なこともある。時に危険を伴う作業を、何千人もの作業員が事故後、12年間以上にわたって続けてきて、今後も何十年間、続けていくわけである。

帰路、我々を乗せた車は、人々の生活の気配が消えてしまった浪江町の林道を進んでいく。
事故後12年間、地元への説明対応などで奔走し、時には罵倒されることもあったという木野参事官。大学から原子力を専攻し、経産省に入ったとの経歴も聞いていたため、一番気になっていたことを率直に尋ねてみた。

――福島で廃炉に関わり続けてきて、批判の矢面に立たされることもあったと思います。木野さんの中で原発政策についての考えに変化はありましたか?

経済産業省資源エネルギー庁 木野正登参事官
「事故が起こると本当に影響は大きくて、我々は自然を甘く見ていたんでしょうね…。ただ、私は原子力は必要だと思っています。いかに安全に運用できるかが大事なこと。私はもう最後まで福島にとどまって、関わり続けますよ。生きている間に終わらないかもしれないけれどね…」

初めて目の当たりにした廃炉作業は、想像以上にきっちりと管理された状況で、ある意味、システマチックに進められている印象だった。
しかし、建設や稼働期間を遙かに上回る途方もない時間、労力、予算が廃炉に費やされていくことになる。今行われている作業の全てが、“手仕舞い”に費やされていると考えると、虚無感を覚える。生活の拠点を奪われた人々の気持ちを考えると、なおさらである。

それでも、この先何十年、たとえ百年以上かかったとしても、私たちは安全に廃炉を進めなければならない。この現実を直視し、正しく理解し、関心を持ち続けていくことが重要だと感じる。