目の前で津波に消えた夫 「生かされた者」の意味…店の再建誓う 【東日本大震災13年の“あれから”】

震災から1年3か月にわたり行方不明になっていた夫は、店からわずか200mの市営アパートで見つかった。目の前で津波に消えた夫。あの日、自分の手に残ったぬくもりを確かめた。場所を転々としながら仮店舗で営業を続けてきた酒店は、2016年12月に本設の店舗で営業を始めた。知人の紹介で借りたこの場所は、夫の遺体が見つかった市営アパートの跡地だった。
夫を救うことはできなかったのか―――。そう思い悩むこともある。各地で災害が発生する中、菅原さんは語り部として震災の記憶を伝え続けている。
「残された者は生きなくちゃいけない。災害に遭ったら、どうやってみんなで辛い日々を乗り越えていくかとか、何かそういうことも私たちが体験した者として、次の世代に伝えなきゃいけないかなとも思う」
東日本大震災から13年。“生かされた者"としての意味を今、噛み締める。
宮城・気仙沼市の鹿折地区に店を構える「すがとよ酒店」は、創業100年を超える家族経営の“酒屋さん”です。
菅原文子さん
「コロナがなければ遠方からご縁のある方とか、たくさんの方が訪ねてくださってたんですけど」
「正直お店の存続を考えながら、何としてもお店を守らなければと思って」
老舗の酒店にとってもコロナ禍での経営は厳しく、あの時のように、先の見えない不安な日々を過ごしています。
11メートルを超える津波と大規模火災に見舞われた鹿折地区は、目を覆うような惨状が広がっていました。菅原文子さんは、この場所で夫とともに酒店を営んでいました。
菅原文子さん
「大きな波が来て…」
「すっぽり主人が波の中にのまれた瞬間はもちろん忘れられないけれども」
震災当時、商品を守ろうと店の1階にいた夫・豊和さん(当時62歳)。津波に気づいた文子さんが2階から差し伸べた手をすり抜けて、津波に消えました。家にいた義理の両親も犠牲になりました。かろうじて屋上に逃れた文子さんは、不安と寒さの中で一夜を過ごし、救助されました。
震災から1か月半後、菅原さんは土地を借り、長男・豊樹さん、二男・英樹さんと仮店舗で営業を再開しました。店先に並んだのは、豊和さんが津波から守った400本の酒です。息子達は、「店の看板とおふくろは俺達が守る」と誓ったといいます。