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タカシマヤ閉店で岐阜県から百貨店“消滅”…してなかった!? 客のニーズに応え続けて66年 普段着で気軽に立ち寄れる老舗“デパート”発見! 

2024年9月12日 19:05
タカシマヤ閉店で岐阜県から百貨店“消滅”…してなかった!? 客のニーズに応え続けて66年 普段着で気軽に立ち寄れる老舗“デパート”発見! 
岐阜県にある「富士屋デパート」

7月末に岐阜タカシマヤが閉店し、岐阜県は百貨店がゼロになったはずですが、今も営業を続ける老舗デパートを発見! 地元で長年愛されるそのデパートは、大手百貨店とはひと味違う、普段着で気軽に立ち寄れるような場所でした。

66年前から地元で愛されるレトロな「富士屋デパート」

7月末、惜しまれつつも47年の歴史に幕を下ろした岐阜タカシマヤ。これで、岐阜県はデパートのない県に...と思いきや、閉店した岐阜タカシマヤから、JR岐阜駅方面へまっすぐ10分ほど歩いたところに、“皆様の富士屋デパート”と書かれたレトロな看板を見つけました。店先は、どこか懐かしさを感じます。

中に入ってみると、野菜や積み上げられた寒天、カラフルすぎるタオルに地下足袋まで、さまざまなものが所狭しと並んでいます。店内に置かれた家庭用冷凍庫の中には、うどんや枝豆が入っていましたが、これもれっきとした商品。

常連客は「靴からなんでもそろうので、すごくいいです」「タカシマヤはなくなったけど、ここは安定して我々も助かっています」と、この庶民的な雰囲気が好評のようです。

地元で長年愛される富士屋デパートは、66年前に、創業者の一二三さんが妻の靖子さんと開店したそうなのですが、開業当初の広告を見てみると「富士屋デパート」ではなく「富士屋メリヤス」となっています。肌着のことを指す“メリヤス”の文字を使った理由は、二人の出会いに関係がありました。

昔、群馬県の「冨士屋」という衣料品店で働いていた靖子さん。そこで、肌着の卸をしていた一二三さんと出会い、「富士屋メリヤス」という名で肌着店を始めたのが由来です。それがなぜ“デパート”へ改名することになったのでしょうか。二代目社長の竹中一彦さんに聞いてみると…。

富士屋デパート 竹中一彦社長(62):
「肌着とか衣料をやっていくなかで、いろんなお客さんが来て『こういうものはないか』『ああいうものはないか』って言われた。『よし、明日にはあるようにしよう』と品ぞろえが増えていって。先代の負けず嫌い」

“皆様の暮らしに奉仕する”をモットーに、客のニーズに応えて商品を増やしていった結果、1966年「富士屋デパート」に生まれ変わったといいます。

当時はとても忙しかったそうで、早めに仕事をやるために店内の時計は15分すすめ、近所のデパートに負けまいと毎日遅くまで営業。大売出しの時にはセスナ機が飛び、チラシをばらまいて宣伝したそうです。

大売出しの様子を撮影した写真を見せてもらうと、店の中も外もお客さんでぎゅうぎゅう詰め。さらに、『大売出しにはお客様が殺到。岐阜中署より警官20名が出動』というメモも残されていました。創業者の妻・靖子さんは当時を振り返り「よくがんばったなと自分を褒めます」と話します。

中部経済産業局によると、“百貨店(デパート)”とは「従業員が50人以上」「売場面積が1500平方メートル以上」などの条件がありますが、富士屋デパートの従業員は現在11人。しかし、竹中社長は「今後も“デパート”という名前で続けていく」と胸を張ります。

富士屋デパート 竹中一彦社長(62):
「もちろんこの名前で続けます。お客さんもうちをデパートって呼ぶことに全く違和感なく、こっちも違和感なく受け入れてるから、デパートだなって」

地方では次々とデパートが姿を消していく中、地元の人たちのニーズに寄り添い営業を続ける「富士屋デパート」。分類上はデパートとはいえないかもしれませんが、地域で長年愛されているお店であることは間違いないようです。

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