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「人生を救う判決を…」旧優生保護法 14歳で「不妊手術」強制された男性…最高裁で“長年の苦しみ”訴える

2024年5月30日 6:10
「人生を救う判決を…」旧優生保護法 14歳で「不妊手術」強制された男性…最高裁で“長年の苦しみ”訴える

「旧優生保護法」のもと、障害などを理由に不妊手術を強制された人たちが、国に賠償を求めている裁判で、29日、原告らが最高裁で意見陳述を行い、長年の苦しみを訴えました。

北三郎さん(仮名・81)
「もう6年ですよね、国と闘うことは。一言でも、国には謝ってもらえれば」

29日午前、最高裁前でこう胸の内を明かしたのは、北三郎さん、81歳です。

北三郎さん(仮名・81)
「『元に戻してくれ』と、私は言いたいけれど……もう、元には戻らない」

北さんが、何の説明もないまま「不妊手術」を受けさせられたのは、14歳のとき。

その背景にあるのが、1948年に施行された「優生保護法」です。

障害がある人などを“不良”とみなし、“子どもを産むべきではない”と、強制的に「不妊手術」をすることを認めた法律で、約2万5000人が「不妊手術」を受けたといわれています。(※1996年に法改正)

北さんが、これまで国に賠償を求めた裁判では、1審では訴えを退けられ、敗訴となりましたが、2審は一転、勝訴判決に──。

その後、国が上告したため、最高裁で審理されることになりました。

原告の代表として、意見陳述をすることとなった、北さん。何度も弁護士と打ち合わせをして、準備を進めていました。

今月10日には。

北三郎さん(仮名・81)
「原稿、書いてきたんだけども…」

「できるだけこの裁判に勝って、幸せをもって帰りたい、という気持ちですよね。幸せな気分を生きているときに、何日生きられるかわかんないけれども、やっぱり、その幸せを勝ち取るってことですよね」

北さんは、当日まで何度も原稿を読み返していました。

そして迎えた、29日──。

今回の弁論では、原告や傍聴を希望する人にも障害者が多くいたため、内容を文字にして投影するモニターが設置されるなど、最高裁では異例の“大規模な配慮措置”がとられました。

その中で、北さんはかみしめるように、裁判官らに語りかけました。

北三郎さん(仮名・81)
「私たち被害者の苦しみと、正面から向き合ってください。そしてどうか、被害者みんなの人生を救う判決を書いてください」

「判決の日が、私の“人生の折り返し地点”だと思っております」

一方で、国側は、原告らの訴える権利が20年でなくなる「除斥期間」の経過により、消滅していると主張しました。

    ◇

いまも、多くの原告が闘っている、この裁判。原告勝訴11件・敗訴9件と、全国各地で判断が分かれていますが、最高裁は今年の夏にも、統一判断を示す見通しです。


(5月29日放送『news zero』より)