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能登半島地震16日目 厳しい寒さも“暖房使えず…” 「安心できる場所」新たな生活する家族も…残る不安

2024年1月16日 22:09
能登半島地震16日目 厳しい寒さも“暖房使えず…” 「安心できる場所」新たな生活する家族も…残る不安
地震発生から16日目。能登半島地震の被災地では16日、猛吹雪となるところがあるなど、厳しい寒さとなっています。生活再建に向け少しずつ動き出すなかで、この雪や寒さが、住民たちの大きな負担となっています。

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強い寒波が襲った石川県の能登半島では、15日夜から16日朝にかけて、猛吹雪となりました。

記者(16日午前6時半すぎ)
「横殴りの、大粒の雪が降っています」

1日も早い復興が望まれる被災地に、雪が追い打ちをかけています。

地震発生から16日目。
津波が押し寄せた石川県珠洲市の宝立町地区には、被害の爪痕そのままに、雪が積もっていました。

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多数の家が「全壊」となった輪島市。

自宅で避難生活を送る夫婦は、冷え込む玄関で、暖房を控える生活を送っています。

自宅で避難生活する人
「ほとんど、暖房器具は使ってないです」

自宅で避難生活する人
「(電気が)ショートしたり、怖くて電気つけなくて」

服を着込んで、寒さをしのいでいるといいます。

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穴水町の穴水中学校では、雪かきに追われていました。16日は、避難所となっていた教室をあけるため、段ボールベッドなどを道場へ移動しました。

元の姿となった教室では…

「みなさん、お久しぶりです」

17日からは3年生のオンライン授業も始まるため、準備が行われていました。

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一方で、輪島市では授業再開のメドが立っていません。被災した自宅前にいたのは、中学3年生の娘と母です。

17日から“集団避難” 輪島市の中学3年生(15)
「もう絶望です。ガチャガチャで」

17日から、輪島市の中学生401人のうち250人の白山市への“集団避難”が行われる予定です。

避難に必要なものを取りに来ていました。

17日から“集団避難” 輪島市の中学3年生(15)
「宿題とか、とりあえず持っていく(勉強)道具とか。教科書は、ほとんど学校に置いてたりしてて。ぬいぐるみも一応、持っていこうかな…落ち着きます」

無事だった勉強道具と、修学旅行で買ったぬいぐるみも一緒に。

約2か月、親子離ればなれの生活になりますが――。

娘が集団避難母親(46)
「“行けるところがあるなら、行っておいで”って思ってましたね。子どもの安全が第一なのかな」

17日から“集団避難” 輪島市の中学3年生(15)
「さびしいです。さびしい…。みんな(友達)と一緒にいられるから、まだ安心なのかな」

受験も控える大事な時期。前を向いて、避難します。

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16日朝、私たちは津幡町にいる田中さん一家を訪ねました。1歳から14歳、育ち盛りの4人の子どもがいる6人家族です。

何気ない朝の光景。しかし――

田中恵美さん(39)
「まだちょっと、生活に慣れてないので。場所に慣れてないのと」

この部屋に移り住んだのは、2日前のことです。

今月10日、私たちは内灘町で田中さんに出会いました。もともと住んでいた家は、傾いてしまっていました。

「ここにいると、気持ち悪くなっちゃう」

田中さん一家は、父親だけがこの家に残り、母親と子どもたちは実家に避難しました。

田中恵美さん(今月10日)
「(内灘町で)アパートを探したんですけど、6人で入れるところがなかなかなくて…」

生活を立て直すための部屋を探していたのです。

あれから6日、いまは家族ひとつ屋根の下。内灘町の隣、津幡町にアパートを借り、新たな生活を始めました。

食卓には、あたたかいご飯が並びます。ただ、不安もあります。

田中恵美さん
「(アパートは)普通に家賃が発生して、後々、地震の制度を使って“家賃補助”みたいなのが、その制度が使えれば出る。それを当てにしている」

現在のところ、「罹災証明」が得られていないため、家賃を全額負担しているといいます。

そして、子どもたちの生活には、変化がありました。

田中恵美さん
「長男が中学校で、小学生の2人が私の妹の家(に預ける)、一番下が保育所に行きます」

長男が通う中学校が15日に再開。保育士として働く母親も、仕事に復帰しました。

長男 太陽さん(14)
「学校に行って、友達と話すことが一番楽しい」
「行ってきます」

田中恵美さん
「子どもたちがたくさんいることで、救われています」

出勤前に3か所をまわって子どもたちを送迎し、1時間以上かけて金沢市内の職場に着きました。

田中恵美さん
「みんなそろって安心できる場所を確保できた、というのは、すごく大きいです。仕事できることもありがたいですし、子どもたちの生活もスタートしたので、頑張ります」

新たな生活に一歩踏み出しましたが、被災した自宅をどうするかなど、先行きが見えない不安が残っているということです。